ところが、娘は小学校に入学後、学校に着くなりすぐに机に突っ伏したり、お腹が痛いと言ってしきりに保健室通いをしたりするようになった。新学期症候群(注1)だった。
ついに担任の先生から連絡が来た。「お母さん、大変だとは思いますが、お子さんの登校に付き添ってあげてください」。
幸い、職場は柔軟勤務制だった。地方の公的機関から柔軟な働き方を奨励するようにとのお達しが回っていたので、出勤の時間を調整するのは、それほど難しいことではなかった。
登校に付き添うようになると子どもも変わり始めた。勇気を出して教室に足を踏み入れ、授業にも積極的に参加するようになった。しかし、私が付き添えない塾では、相変わらず強い不安に襲われていた。
シッター代に給料のかなりの分を使っていたのに、子どもはしょっちゅう電話をよこして不安を訴えるし、シッターの女性は聞き分けの悪い子どもだと苛立ちを隠さなかった。大金を投じながら、私はまったく仕事に集中できなかった。そんなふうにして3か月が過ぎた。
高学歴でも子どもを産んだら
仕事を辞めて家事に勤しむ
夫と相談して、彼の実家にSOSを出した。簡単な決断ではなかったが、姑は事情を聞くと、すぐにカバン1つで大田まで駆けつけてくれた。
姑にとっても非常にハードな生活だった。平日はわが家に泊まり込んで孫を学校や塾に送り、週末は自分の家に帰って家事をする。もちろん、姑にも少なくないケア代金を払ってはいるが、シッター代ほどではない。何より子どもが大きな安心感を得られるから、これ以上ない選択肢だった。
だが、すべての女性が柔軟な勤務時間を申請でき、子どもの世話を頼める親族を見つけられるわけではない。私は運がいいほうなのだ。
「姑チャンス(注2)」が使えなかったら、私は今頃研究室のデスクに座っていられず、研究院の側は、誠実で情熱あふれる博士級の女性人材を失っていただろう。
(注2)「○○チャンス」は、○○の存在で助けられたり、甘えたりが期待できることを指す韓国の流行語。







