政界や法曹界で
活躍する卒業生たち

 政治家では、民主党所属の玉置一弥が衆院議員を8期、参院議員を1期、務めた。2世議員だった。

 鍵田忠三郎は奈良市長を1967年~80年に務め、その後衆院議員を1期務めた。

 稲村和美は2010年~22年にかけて兵庫県尼崎市長を務めた。24年11月の兵庫県知事選に無所属で立候補したが、SNSを活用した前知事に敗れた。稲村は奈良高校を経て神戸大卒で、兵庫県会議員を経て市長になった。

 法曹界では、旧制奈良中学卒の寺田治郎が第10代最高裁判所長官を務めた。旧制姫路高校を経て東京帝大法学部卒だ。

 息子の寺田逸郎も第18代最高裁長官(2014年~18年)に就いた。父子二代で最高裁長官に就任したのは、日本の法曹史で初めてのことだ。父子とも、裁判官出身だ。逸郎は、大阪教育大附属天王寺中学から都立日比谷高校を経て東大法学部卒だ。

 お寺が多い奈良という土地柄、卒業生には宗教界で活躍した人物も多い。上野道善は華厳宗の僧侶で、2007年~10年、第219世東大寺別当・華厳宗管長を務めた。奈良県教育委員長なども歴任した。旧制奈良中卒の筒井寛秀は、第212世別当だった。

 安田暎胤(えいいん)は、薬師寺(奈良市西ノ京)の管主を経て長老だ。

 倉本堯慧(ぎょうけい)は、安産祈願の寺として知られる帯解寺(おびとけでら、奈良市今市町)住職だ。上皇后美智子さま、皇后雅子さまをはじめ、皇族も当寺において安産祈願を行っている。

県内の公立高校で
トップの進学校

 県庁所在地に最初に設立した中学校を「県立一中」とすることが、明治以来の各県の慣行になっている。奈良県の場合は違った。奈良県立一中に相当する旧制中学は、現在の県立郡山高校(大和郡山市)だ。奈良中学の設立は1924年で、県立中学の中では後発だった。

 奈良は天領として徳川家の直接支配地だったが、奈良県を統治した雄藩は柳沢家・郡山藩で、幕末の戊辰戦争では新政府軍に加わった。明治維新後の廃藩置県を経て奈良県の県庁は奈良市に置かれたものの、最初の県立中学は大和郡山市に開設されることになったのだ。

 旧制奈良中学は戦後の学制改革で男女共学の奈良高校となった。奈良市の人口増とともに奈良高校は発展し、現在では奈良県内の公立高校ではトップの進学校になっている。国立の奈良女子大附属中等教育学校、私立の東大寺学園高校、西大寺学園高校が奈良高校のライバル校となっている。