ただ、トゲオオハリアリの場合、子育てからの“卒業”はなかなかやってこない。妹たちは次々と生まれ、働き盛りのうちは繭や幼虫のお世話にあたる。そのため、2~3年の寿命の半分程度は子育てに関わることとなる。

 なかなか、ゆっくり眠ることはできないわけだが、これは、数ある仕事の中でもっとも大切な労働だという証左でもある。

 真社会性(編集部注/生物学で使われる言葉で、(1)繁殖しない個体がいること、(2)複数の世代が一緒に暮らすこと、(3)親以外が子育てを手伝うこと、の3つがそろった社会性のもっとも進んだ形態)の生物にとって重要なことは、みんなで協力しながら次の世代の子どもたちを育てることだ。アリにとって子育て・妹育ては極めて重要なミッションなのだ。

命のバトンのつなぎ方は
人間もアリもさまざま

 ここでひとつ、強く言い添えておきたいことがある。

 生物にとって次世代の子どもを産み、命のバトンをつないでいくことが重要だとはいえ、それは、「子どもを残せない個体に意味がない」ということでは断じてないということだ。

 昨今、政治家から「女性と出産」をめぐって失言・暴言が相次いでいる。その背景として生物学が持ち出されることもある。

 が、それは不正確な引用なのでやめてもらいたい。生物学的には不妊のワーカーが進化している以上、子どもが残せない個体にだってきちんと進化的な意義が保証されているのだ。

 ほとんどの場合、産卵を担うのは女王アリで、働きアリは直接子どもを残せない。しかし、アリは1億年以上も長く太くこの地球上に存在し続けている。それが答えだ。

 この地球上に生まれた瞬間に生物としての役割は十分に果たしているし、それで十分なのだ。

 それに……こんなことも思う。生物が次世代に引き継ぐ遺伝情報が書き込まれた設計図「DNA」は、いわば「情報」だ。人間社会の場合、次世代に伝えられる情報は決して「遺伝情報」に限らないのではないだろうか。

 文字や音楽、芸術、僕がやっているような研究を通じての発見、交わされた言葉など、場所や時間を超えて伝播し、人間の社会に何かしらの影響を与えることができる。

 生物学的な遺伝だけでなく、さまざまな「情報」の共有もまた「命のバトン」のつなぎ方のひとつなのではないかと思っている。