たとえば、『推す力』の著者であるアイドル評論家・中森明夫は、自身が推している岩手県を「推し地元」と呼んでいる。前述のふるさと納税は、「自分の意思で応援したい自治体を選ぶことができる制度」(総務省のサイト)であり、関係人口がふるさと納税を通して応援する地域があれば、それは推し地元だという言い換えが可能になる。
ただ、だからといって、「ファン=推し=関係人口」とそのままイコールで結ぶのは、少し乱暴かもしれない。
ファンを経営学的に定義した青木慶の論考によると、ファンとは「持続的にブランドに関与する意思を持つ顧客」であり、顧客とは、料金を払う利用者を指す。
前述の佐藤も「くり返し購入してくれるファンこそが、実は売上を支える大黒柱なのだ」と、ファンを大切にすれば売上が上がると強調する。
推しも同様に、無理な出費につながりやすい構造などが、満薗勇の著書『消費者と日本経済の歴史』で指摘されている。いずれも消費的・経済的価値とは切り離せないのだ。
地元民との深いつながりが
強固な信頼を生み出した
さらに、推しは、特別な愛着を持つ点ではファンと同じだが、受動的なファンよりも、能動的に行動するとされている。その象徴が、推す対象を第三者に薦める「布教活動」だ。
注目したいのは、つながる相手が推す対象ではなく、同じ対象を推す同士であり、そのコミュニティの楽しさが魅力にもなるのだという。
推しに生きる高校生を描いた、小説家・宇佐見りんの芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』で、主人公は推しと「触れ合いたいとは思わなかった」と明言している。
推す対象との顔の見える直接的なつながりは、想定されていないのだ。つまり、ファンや推しでは、愛着対象とのつながりは間接的であるイメージが強いと言える。
一方、前述の江の川鐵道の事例では、通ってくる関係人口と顔の見える直接的なつながりがある。住民は、「関係人口はお客さんではなく仲間だ」と信頼し、「関係人口がいるから運行できている」と活動で助かっていることを大切に感じていた。







