それだけでは地域の前向きな変化につながりにくいと感じているという。さらに、背後には、地域を過剰に活性化すべき対象として捉えていることがあると指摘する。
「大学や高校の先生も親も含めて多くはステレオタイプで見てしまっている。ほとんど全員、課題解決が良いことだと思って、地域を何とかしてあげなきゃって。でもそれが一番良くない」というのだ。
「助けてあげなきゃ」という
リスペクトを欠いたお節介
こうした構図は「地域活性化フレーム」と名付けられ、批判の対象になっている。
「『不気味なもの』から地域活性化を問いなおす」という副題が付いた『オルタナティヴ地域社会学入門』によると、地域活性化フレームとは、地域の存続・発展を是とし、そのための課題の解決を行っていくことが肝要であるという思考の枠組みを指す。
そして、地域に関わる際に「地域の人々の活性化への願い」を暗黙の前提として活性化が「正義」となり、課題解決がパッケージ化されていることを指摘している。
その結果、多様な生き方を否定し、生きづらさにつながる問題点や、多様であるはずの地域のあり方を「望ましい」とされる方向に集約し、地域の現状が危機や異常として語られる傾向を生んでしまうという。
筆者も同じ思いだ。都市の若者世代が「地方を助けてあげなきゃと思っていたが、住民は普通に豊かに暮らしていた」と拍子抜けするように語っていたのを、何度か耳にした。
地域のあり方も、その目標も多様だ。“課題が多くて、かわいそう”だと無意識のうちに決めつけていないだろうか。押し付けるのではなく、リスペクトしながら聞く姿勢を大切にしてほしい。
地域活性化フレームと言われるような考え方は、関係人口だけでなく、住民にも当てはまるケースもあり、双方が力を合わせて気を付ける必要がある。
課題解決を急ぐよりも両者の顔の見える仲間のようなつながりを育むことが何より大切だ。その結果として課題解決に結びつくのだ。







