リスペクトという言葉を使ったのは、以前、住民に、移住者や関係人口などのよそ者から言われて嫌だった言葉を聞いて歩いたエピソードから着想している。

 もっとも多かった答えは「それって、おかしくないですか?」だった。

 本人がおかしいと感じた事態も、地域の過去の経緯や担い手不足などの要因で、仕方なく生じているのかもしれない。住民は、そうした可能性への想像力、言い換えれば、地域へのリスペクトを欠いている発言として受け止めたのだろうと感じたのだ。

 リスペクトは、日本語訳の「尊敬」という意味だけでなく、相手の考え方や価値観を大切にする意味もあると言われる。

 ただ、ときには、「それっておかしくないですか?」という気持ちがわいてくることもあるだろう。そのときは、「どんな背景や理由でそうなっているのですか?」という質問に変えてみることを勧めたい。

残された人たちの
寂しさは忘れない

 同じように、忘れたくないのが、住民の感情だ。

 民俗学では風土という言葉もある。しかし、あるとき住民から「風の人(編集部注/筆者が考える、関係人口4つの移動パターンのうちの1つ。一時的に居住した後に別の地域に移動していくかたち)が去るときは寂しい」と言われた。

 たしかに、去る側より、去られる側の方が寂しいのが一般的だろう。

 関係人口として活動すれば、出会いも別れもある。日本社会では、よそ者が訪れる理由が「好きだから」という文脈で理解されやすく、その反面、去る理由は「嫌になったから」と受け取られやすい。

 現実には、嫌になったケースばかりではなく、仕事や家族の事情があって仕方がないケースや、思いを持ったままつながり続けるケースもたくさん見てきた。

 たとえば、同一県内各地を転勤する公立学校の教員をイメージするといいかもしれない。教員という役割を果たし、そして去っていく。そこにあるのは好き嫌いだけではない。

 だからといって、別れの寂しさをすべて否定するのは違和感がある。相手の寂しさを想像し、自分の寂しさも受け止めるあり方が、望ましいのではないだろうか。

 長い目で見れば必ず変化があり、誰かとのつながりが薄くなるかもしれないが、再び一緒に活動するかもしれない。別の新しい人と新しいつながりが生まれることもある。人間関係全般に言えることだろう。