奴隷は社畜より恵まれていた!?
鈴木先生が語る自由のパラドックス
鈴木英明先生は、インド洋西海域世界を対象に、人や物の流動性について研究してきた。その際、交易の品として扱われていた奴隷の動きに注目した。もともとは交易という視点で注目しはじめたのだが、徐々にその制度についても関心を持つようになった。そこから話は、「自由」という価値観についての問いへと発展していく。
一般的に奴隷制というと、大西洋奴隷貿易の悲惨なイメージが浮かぶ。奴隷船にぎっしりと詰め込まれ、鎖につながれた人々の姿だ。しかし、先生がインド洋研究で発見した奴隷制は、まったく異なる様相を呈していた。
「インド洋の場合、奴隷はぎゅうぎゅうに詰め込まれることはほとんどなかったんですよ」
そこには大西洋のプランテーション奴隷制とは根本的に違う世界があり、固定されたイメージに対する疑問が浮かび上がる。
たとえば、世界で唯一、奴隷による反乱が成功したのがハイチ革命だ。しかしこれも人権の獲得という文脈に固執して見てしまうと、実情とは少し印象が違ってくる。革命にはもちろん、自由と平等を求めて自分たちを解放するという大義があった。
「とはいえ、奴隷って週休2日だったんですよ。それがじきに週休3日になるという噂が流れ、なのにいつまで経ってもそうならない。いったいどういうことだ!と不満が募ったらしいんですね。そう考えると、なんならブラック企業で社畜化しちゃうような状況よりも、ずっと恵まれています。ぼくたちが持つイメージとは少し違って見えてきますよね。奴隷という言葉にはこうした難しさがあります」
奴隷なのに貴族になれた?
タイ族が示す社会の柔軟性
鈴木先生によると、インド洋世界の奴隷制は、同化を基本としていた。奴隷はスワヒリ語で「ムトゥンワ」と呼ばれ、これは「使いに出される人、使われる人」という意味だった。
「言わば、かつての小使いさんとか丁稚さんのようなニュアンスです」
ムトゥンワはその家の子どものように扱われ、主人と同じ家に住み、言葉や習慣を覚えるにつれて社会に同化していく。







