「よく考えてみたら、そこで日本語を喋ればよかったのに、頭に血が上っていたから、モンゴル語でバーッとまくし立てたんです。そしたら余計に、こいつ絶対日本人と違うと思われて、警棒で殴られて、護送車に乗せられました」

 そのときに警官が先生に対して浴びせたのが「黙れ、ホジャー」という罵倒だった。

本当に連帯感があるのかと
警棒で殴られながら考えた

「ホジャーというのは中国人に対する蔑称なんです。『お前は内モンゴルから来た密入国者だろう』と最初に疑われたってことは、中国籍のモンゴル人だと思われたってことですよね?ところが、警官はそのモンゴル人であるはずの人間を『黙れ、ホジャー(中国人)』って罵ったわけです。つまり『お前は中国人であって、モンゴル人じゃない』って言ったんです」

 先生はそのことにショックを受けた。

『変わり者たちの秘密基地 国立民族学博物館』書影『変わり者たちの秘密基地 国立民族学博物館』(樫永真佐夫、CEメディアハウス)

「日本語で書かれたモンゴル研究の本には『モンゴル民族は3カ国(ロシア、モンゴル、中国)に分断されて居住しているが、民族として一体感を持っている』というようなことが書いてあるんですよ。内モンゴルは中国の自治区だけど、そこに住んでるモンゴル人はモンゴル人であって、モンゴルの人たちは彼らに連帯感を持ってるんだ、って」

 警棒で殴られながら、先生は考えていた。モンゴル人であるこの警官たちにとって、内モンゴル人っていうのは、モンゴル人ではない人という認識なのか、と。

 そのときの「あれ、おかしいやん?」が、のちにエスニシティーの研究につながっていった。

「殴られながら考えてるんですよ。殴られながら、あれ、おかしいやん?なんで?って」

 知るとは、五感を研ぎ澄ますこと。人生を受け止める。