自由な表現が生まれたのは
国家が“ディスり”を教えたから
モンゴルのラップの韻のテクニックは、2010年頃までに完成されていった。その頃になると非常に洗練されたものをすでにつくり上げていた。それはやはり、遊牧の文化の延長線上に韻を踏む文化があったからだ。
遊牧民の子どもどうしが、韻を踏みながらお互いをディスり合うような喧嘩歌がある。これはまさにラップバトルである。ただ、メロディーは明らかにアジア音階なので民謡調ではある。こうした喧嘩歌は教科書に載っていて、学校で習うという。
「しかも載ってる歌の歌詞が中国をディスる歌だったりするんですよ。いやいや、これあかんやろ、と思いますよね」
国家公認でディスりを教えるというのもなかなかすごいものがある。もともとこうした喧嘩歌の文化があったので、フリースタイルのラップバトルをモンゴル語に訳す場合、すでに現地語があるそうだ。
「たとえば、喧嘩歌の一つに『デンベー』っていうのがあるんですが、彼らは『ラップバトル』を訳すとき『ラップ・デンベー』って訳すんです。もともとある自分たちの言葉で訳すんですね。我々の日本語にはそういう言葉がないから、『ラップバトル』ってそのまま英語を輸入するしかありません」
絶交が“終わり”にならないのは
再会が前提の社会だったから
ディスりといえば、島村先生はモンゴルで大学院生になってから、モンゴル人は口喧嘩がとても上手いことに気がついた。遊牧民は個人主義が強いので、もともとお互いをディスり合いまくるようなところがある。相手の文句を滅茶苦茶に言ったり、殴り合いの喧嘩をしたりするのに、1時間後には「心の友よ!」と言って抱き合っているような人たちなのである。
遊牧民は移動しながら、離合集散する。嫌だったらすぐ離れる。でも、そもそもの人口が少ないから、またくっ付かないといけない場面が出てくるのだ。







