ファシズムや全体主義の到来に警鐘をならす著作は、内外に多数存在する。だが、このような戦後レジーム(体制)への信頼が曲がりなりにも持続している状況のなかで、危機の到来をいくらうたっても、人びとの心を十分にとらえることはできない。おそらく、ナチスドイツや戦時期の日本と同様の悲惨が現実になるとおもっている人たちはごく一部だし、だからこそ、ファシズムや全体主義ということばは、そのちがいすら考慮されず、レッテルの座にとどまれている、とも言える。
世界で台頭する極右勢力は
民主主義を否定していない
近年の海外のうごきに目をむけると、極右勢力の台頭が目だっている。いわゆる右派ポピュリズムである。
だが、彼らの手法は洗練されており、現実にある民主主義的制度そのものを否定しようとはしない。ファシズム研究者であるケヴィン・パスモアはこう問いかける。
極右勢力の代表格であるフランスのマリーヌ・ルペンは、はたして選挙による競争を否定しているだろうか。独裁政治をもとめているだろうか。自国民の利益を最優先だといってはいるが、人種的な差別を推奨しているだろうか。ナチスのような暴力組織を彼女らはもちあわせているだろうか(*注1)。
いずれも否である。むしろ、民主的な手つづきを前提とし、そこでいかに民意を政治の現実に反映させるかを、すくなくとも表面的には競いあっている。ヨーロッパで極右とよばれる政治家たちは、古きよき国民国家への感傷にひたりながら、他者の抑圧と合法のギリギリの境界線を手さぐりしながら、自分たちの主張を拡散している。
これらは、ファシズムや全体主義とは似て非なる政策志向である。だから、ポピュリズムからファシズムへ、と私たちがいくらうったえたところで、危機を声高にさけぶ左派の悲観的憶測として片づけられてしまうのである。
*注1 ケヴィン・パスモア『ファシズムとは何か』福井憲彦訳、岩波書店、2016、154ページ







