フランス国民はなぜ
ナポレオン3世を歓迎したのか
カール・マルクスは、そのプロセスと治世を分析した『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』のなかで、当時の政治状況を、「ボナパルトの議会に対する勝利、執行権力の立法権力に対する勝利、美辞麗句の暴力に対するずばりただの暴力の勝利だった。古い国家の一権力が、このように、まずその制約から解放されて、無制限の、絶対的な権力になった」とつよく批判した(*注3)。
労働者階級の力が未成熟ながらも伸長し、ブルジョワジーの政治力が相対的によわまることで、資本家と労働者の政治力は拮抗した。この両者の調停者をよそおい、専制的な政治権力者として立ちあらわれたのが国家、すなわち独裁者ナポレオン3世だった。いわゆるボナパルティズム(Bonapartisme:ナポレオン・ボナパルト=ナポレオン1世によるフランス第一帝政の崩壊以後に活発化した政治運動。国民の支持でフランスの支配者に選ばれたナポレオンとその一族を再びフランス皇帝に据えようとする運動)である。ウラジーミル・レーニンは、『国家と革命』のなかで、この分析におおきな刺激をうけ、国家機構を粉砕しなければならないとの結論にいたる(*注4)。
むろん、ボナパルティズムは、ある歴史局面で立ちあがったものであり、当時の国家がそうした欠点をもっていたとしても、いつの時代も国家は打倒されるべきだ、と一般化することはできない。また、その後の研究によって、ボナパルティズムには専制的、権威主義的な要素が前面に押しだされつつも、議会制民主主義や学術団体、メディアが機能していたことも指摘されている(*注5)。
だが、それらの事実をふまえてもなお、以上の議論が重要なのは、権威主義的、専制的な政治体制は 、民主主義や自由との緊張関係を軸として、よそおいをかえながら、くりかえし登場しているという事実である。
*注3 『マルクスコレクション 3』今村仁司・三島憲一監修、筑摩書房、2005、121ページ
*注4 『レーニン』江口朴郎責任編集、中央公論社、1979、494ページ
*注5 髙山裕二「ボナパルティズム再考」『フランス哲学・思想研究』26、2021







