世界一民主的な憲法の下に
ドイツファシズムが誕生
フランス二月革命につづいておきたドイツ三月革命でも、これを弾圧する側にいたオットー・フォン・ビスマルクが「現下の大問題は言論や多数決――これが1848年、49年の大きなまちがいであった――によってではなく、鉄と血によってのみ解決される」と宣言し(いわゆる鉄血演説)、のちに権威主義体制をつくりあげたことは、よく知られている。ドイツファシズムが、第一次世界大戦の敗北によって制定された、当時、世界でもっとも民主的といわれたヴァイマル憲法のもとで生まれたことも、同様である。
『令和ファシズム論――極端へと逃走するこの国で』(井手英策、筑摩書房)
マルクスがヘーゲルをひきながら、世界史的な大事件と大人物は2度あらわれる、1度目は偉大な悲劇として、2度目はみすぼらしい笑劇として、とのべたことは有名である。悲劇か笑劇かはともかく、第一帝政があり、ボナパルティズムがあり、ビスマルク体制があり、ファシズムがあった。近代の歴史がそのようなものだとすれば、権威主義であれ、ファシズムであれ、共産主義であれ、あるいは、これらとはことなるなにかであれ、民主主義や自由を正面から否定するようなうごきはもうおきない、と考えるのは、楽観的である。
あるドイツ人――教養はあるが、政治的感度がたかくなかった人物とされる――の回想は、私たちに大切なことを気づかせてくれる。証言者は、トウモロコシの1日の成長が畑にいる農民の目に見えないように、ファシズムへの道も目に見えないのだ、とのべ、こうつづける。
「もし感じとれればの話ですが、すでに手遅れになったある日、信じていたものが崩れ、すべて自分に降りかかってきます……小さな出来事によって、いきなりすべてが崩壊する。私の場合、それは小さな息子、まだ赤ん坊と言ってもいいくらいの子供が、『ユダヤの豚』と口にしたことでした。すべてが、まさにすべてが、目の前で完全にかわってしまいました」(*注6)。
*注6 マデレーン・オルブライト『ファシズム』白川貴子・高取芳彦訳、みすず書房、2020、236~7ページ







