自由を求めた革命が
独裁と戦争を生んだ

 だが本当にそれでいいのか。少しずつ私たちの選択を制限するうごきが強まり、気がつくと私たちのくらしが一変していた、そのような悲劇は、歴史上、何度もおきている。

 私たちは、歴史の教科書でフランス革命を学ぶ。人は生まれながらに自由であり、権利において平等である――1789年のフランス革命ののちに発布された「人権宣言」の第1条がうたいあげたように、革命は人びとに自由をもたらしたかに見えた。

 だが、保守的な思想家であるエドマンド・バークは、フランスが現状のまま安定にむかうことはありえず、事態が最終的に落ちつくまでには紆余曲折があることを見抜いていた(*注2)。彼の予言は的中した。フランス革命によって成立した第一共和政期には、政治が混乱をきわめ、ジャコバン派による独裁と、同派内での権力闘争とがくりひろげられた。

 フランスの民衆は、反発をつよめ、中産階級の利害を重視する総裁政府が誕生した。ところが、政治基盤が不安定だった同政府では、クーデターのうごきがおさまらず、そのスキをつくようにしてナポレオン・ボナパルトが実権をにぎった。第一帝政である。独裁的な地位を手にしたナポレオンは、軍事行動を全面化し、1796年から1815年の長期にわたってヨーロッパ全土を戦火にまきこんだ。革命によって人びとが手にした自由の帰結は、独裁政治と戦争、そして国民国家の建設をめざすナショナリズムだった。

 自由をもとめる人びとの思いが戦乱に帰結した歴史は、これだけではない。1848年に各国で革命がおき、ヨーロッパに秩序をもたらしたウィーン体制を崩壊させたあとも同じだった。フランスでは、二月革命によって国王ルイ・フィリップが海外に亡命し、第二共和政へと移行したのち、1851年、ナポレオンの甥にあたるシャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト(ナポレオン3世)のクーデターによって、翌年から第二帝政が開始された。

*注2 エドマンド・バーク『フランス革命の省察』佐藤健志編訳、PHP研究所、2011、316ページ