AIを「活用できる人」と「置いていかれる人」の決定的な違い写真はイメージです Photo:PIXTA

「生き方や感情は顔つきに現れる」という楠木新さん。著述家として多くの人を取材し、さまざまな「顔」に接してきた経験から、いつしか「顔の研究」がライフワークになったと言います。『豊かな人生を送る「いい顔」の作り方』第18回は、「顔」にまつわる落語の噺から、未知のものに対する向き合い方について考えます。

亡き父に会いたい…
落語『松山鏡』に出てくる解決法は?

 私はここ2年ほど、神戸新開地にある落語の定席「喜楽館」のHPに「私が落語家になったワケ」という落語家さんたちのインタビュー記事を連載しています。

 これまで、40人ほどに登場いただきました。以前は落語にはそれほど興味がなかったのですが、寄席に通ううちに周波数が合ってきました。

 落語には滑稽噺、人情噺、怪談噺から現代的な新作まで幅広い演目があります。その中には「顔」にまつわる噺もあります。例えば『松山鏡』です。

 舞台は越後・松山村、主人公は親孝行で誠実な男・正助です。毎日欠かさず両親の墓参りを続ける姿に感心した領主が褒美を申し出ても、「親の墓を参るのは当然のこと」と一切受け取ろうとしません。

 そこで領主が重ねて望みを尋ねると、正助は「亡き父に会いたい」と答えます。

 これには領主も困ってしまいましたが、亡き父親が正助と瓜二つの風貌であったことを聞きつけ、当時、松山村にはまだ存在しなかった鏡をつづらに納めて、彼に進呈したのです。

 鏡を知らない正助は、つづらの蓋を開けてびっくり。そこに懐かしい父親がいると思い込み、毎日こっそり納屋に行っては「父ちゃん、元気か?」と話しかけるようになりました。

 一方その様子を怪しんだのは正助の妻でした。