だが、人は往々にして、情やサンクコスト(埋没費用)に縛られ、腐った縁を切り捨てることができない。矢野博丈という傑物は、物理的な「火事」という悲劇を通じて、強制的に悪縁を焼き尽くし、そこから不死鳥のごとく蘇ったと言えよう。
昭和40年代後半、客から立ち上げたばかりの100円ショップを「安もの買いの銭失い」と罵られた矢野氏は、利益を度外視して原価率を極限まで引き上げる賭けに出た。その品質は客を驚愕させたが、矢先にあろうことか自宅兼事務所が全焼する。
警察は自作自演を疑ったが、皮肉にも保険未加入が潔白の証明となった。冒頭の通り、放火魔への復讐も未遂に終わったが、矢野氏は後にこれを「悪縁を焼き捨てる火事」だったと回顧している。
全ての財産と共に過去のしがらみや「毒」がリセットされた契機として、矢野氏は広島の大手スーパー「イズミ」への直談判という大勝負に挑み、ダイソーの礎を築くこととなった。
マイナス要素を排除する方が圧倒的に「お得」
矢野氏のこの転機は、単なる精神論ではない。ビジネスや組織論においても、「マイナス要素の排除」が「プラス要素の獲得」よりも遥かに重要であることを示唆している。
ここで、ある興味深い研究を紹介したい。ハーバード・ビジネス・スクールのマイケル・ハウスマンとディラン・マイナーによる論文『Toxic Workers(毒性労働者)』である。
この研究は、組織に害をなす人物を「Toxic Workers(毒性労働者)」と定義し、その排除がいかに経済的合理性にかなっているかを実証している。
矢野氏が直感的に「悪縁」と呼んで断ち切ったものは、組織論でいう「Toxic(有毒)」な要素に他ならない。論文は次のように述べている。
《これら2つのコスト(スーパースター採用の利益と毒性労働者回避の利益)を比較すると、たとえ企業が平均的な労働者をトップ1%の成績を上げる労働者に置き換えることができたとしても、毒性労働者を平均的な労働者に置き換える(排除する)ほうが、2対1以上の割合で状況は良くなることがわかる。つまり、毒性労働者を避ける(あるいは平均的な労働者に変える)ことは、スーパースターを見つけて維持することよりも多くの利益をもたらすのである》(『Toxic Workers』 Michael Housman & Dylan Minor, 2015)







