ちなみに日本にもピラミッドがあるというのは、わりと知られた俗説だ。それらはエジプトに見られるような石積みの構造物ではなく、古来より聖地として崇められてきた自然の山を指すことが多い。
 
 たとえば、和製ピラミッド研究の第一人者である酒井勝軍が昭和初期に広めた広島県の葦嶽山や、クロマンタの愛称で知られる秋田県の黒又山、ダイダラボッチ伝説が残る愛知県の石巻山など、実はピラミッドなのではないかと噂される山は枚挙に暇がない。

 しかし、熊山遺跡は明らかに人工物であり、そうした日本のピラミッドとは趣を異にしている。国の史跡に指定されてはいるものの、建造年や用途についての記録は見つかっていない。

 その正体に迫るために、熊山周辺の歴史を少し遡ってみたい。

鑑真和上がもたらした
地蔵菩薩が眠る熊山神社

 いまでこそ「熊」の字があてられている熊山だが、もともとは吉備の国の“隅”に位置することから「隅山」と表記され、それが転じて現在の呼称になったという説がある。

 熊山の歴史は古い。その根拠の一つが、山頂を目指す途中、林に埋もれるようにして鎮座する熊山神社である。

 創建年代は不明だが、中世の頃、熊山の山頂には帝釈山霊山寺が置かれていたそうで、ここに鑑真和上が入朝したのが天平勝宝6(754)年のこと。鑑真和上は国家泰平を願って地蔵菩薩を社内に安置したと伝えられるが、明治の神仏分離で開扉し、新たに設けられたのがこの熊山神社なのだという。

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