中心部に設けられた石室
発見当時中にあったものは?
あらためて熊山遺跡を細かくチェックしてみると、基壇の上に3段の石積みが構築された4層構造になっているのがわかる。また、4つの側面は正確に東西南北を指しているそうで、何らかの儀式に用いられたものと考えるのが自然に思える。
さらに、熊山遺跡の中心部には、高さ2メートルほどの石室が設けられている。石垣をよじ登るわけにもいかないので開口部を直接確かめることはできないが、発見当時、その石室の中には、高さ1.6メートルの陶製の筒型容器が納められていたという。
容器の中には三彩釉という低火度溶融の釉薬で彩られた小さな壺と、文字が書かれた皮製の巻物が入っていたと伝えられる。ところが残念なことに、その巻物ははるか昔に盗難に遭い、現在は行方がわからなくなっている(陶製容器のほうは奈良・天理大学附属天理参考館で管理されている)。
結局のところ、判明している情報はそのくらいで、この遺構が何なのか、いまのところ明確な答えは存在していないのが実情だ。
しかし、この地が山頂の伽藍(僧侶の修行場所)であったことや、石積みの方式から推測できる筑成年代からすると、奈良時代初期に造られた仏塔と解釈するのが現実的な落とし所のようだ。
たしかに、2段目の四方に設けられた窪みにしても、龕という仏像を納める厨子と解釈すれば辻褄は合う。そしてその仮説を裏付けるものが、奈良県に存在している。奈良市内、東大寺南大門から南に1キロほどの場所に残る、「頭塔」である。







