熊山遺跡の正体に通じる
奈良県の「頭塔」に眠るのは…
頭塔は住宅街の中にある。門扉は施錠されており、見学希望者は管理を担っている近隣のギャラリーに協力金300円を支払い、解錠してもらうことになる。
奈良時代に玄昉という法相宗の僧侶の頭を埋めた墓であるとの伝承があることが名称の由来とされる頭塔。熊山遺跡と同じく石積みの遺構だが、1辺32メートルの正方形から全7段の方形段が積み上げられ、高さは10メートルに達する。
やはりピラミッドを連想させる独特の形状ではあるが、こちらは『東大寺要録』という平安時代後期に作成された東大寺の寺誌に、神護景雲元(767)年に奈良時代の僧・実忠によって造営されたことが記される、れっきとした仏教施設である。
実際、各段には浮彫、線彫の石仏が配置され、中から石仏が見つかってもいる。
奈良県の「頭塔」もまた、ピラミッドを思わせる石積構造だ
頭塔の随所にあしらわれている石仏
両者の構造の共通点からして、熊山遺跡をこの頭塔のルーツとして考えるのは、無理のない推論だろう。
たとえば、熊山遺跡の中から出てきた三彩釉の小壺にしても、本来の用途はお骨を納めた骨蔵器だった可能性もある。日本では飛鳥時代の終わり頃から火葬の文化が始まったと考えられているから、時代的にも合致するはずだ。
もちろん、すべては机上の推論に過ぎない。あるいは今後、こうした仮説を一気に翻す物証が見つかることもあるかもしれない。なにしろ、熊山にはこれまで、大小32基もの石積みの跡が確認されているのだ。
さらなる発見と調査結果を楽しみにしつつ、時にはこうして中世日本の文化に思いを馳せながらトレッキングを楽しむのも、一興ではないだろうか。







