人間を育てるのは「逆境」である――。よく言われることですが、それを体現しているのがトップアスリートです。テニスの伊達公子さん、野球の古田敦也さんも、「キャリアにおいて一番大事な出来事は?」と尋ねると、「輝かしい勝利の瞬間」ではなく、「苦しかった時期」のことを熱く語ってくださいます。では、その「逆境」をどのように乗り越え、「成功」へと結びつけていったのか? この記事では、伊達さんと古田さんのエピソードを紹介しながら、「苦しい時期」を乗り越えるマインドセットについて考えます(この記事は、金沢景敏さんのご著書『超☆アスリート思考』を抜粋したものです)。

「世の中全員見返したる」……超有名プロ野球選手が「屈辱」を晴らした方法とは?写真はイメージです Photo: Adobe Stock

「あの怪我がなかったら、世界ランク4位までは行けなかった」

「これまでのキャリアで一番大事な出来事は何ですか?」

 トップアスリートにこう尋ねると、非常に興味深いことに気付かされます。
 というのは、経験してきたはずの「輝かしい勝利の瞬間」について語る人はほとんどいないからです。そして、みなさんが口を揃えて「苦しかった時期」の出来事について熱く語ってくださるのです。

 たとえば、伊達公子さんは「怪我」の経験を挙げました。
 23歳の頃に怪我をして、国際大会を棄権せざるをえなかったときのことです。当時の伊達さんはまさに飛ぶ鳥を落とす勢い。ライジングショットを武器に世界ランキングを駆け上がり、アジア人選手として史上初めてトップ10入りしたタイミングでした。

 それだけに、人生で初めてのリハビリ生活を余儀なくされ、病院と自宅を往復する毎日を強いられるのはつらかった。伊達さんは怪我で止まっていても、ツアーは止まってはくれません。テレビなどでライバル選手たちの活躍する姿を見ると、耐え難いほどの悔しさを感じたそうです。

 しかし、この悔しさが伊達さんを強くしました。
 テレビなどでライバルの姿を見ながら、伊達さんのなかには、「なんで私はここに入れていないんだろう?」「どうして自分は家にいるんだろう?」という思いが生まれ、「はやく戻りたい」「はやくテニスがしたい」「はやく彼らと戦いたい」というものすごいエネルギーが湧いてきたといいます。

 そして、この燃えたぎるようなエネルギーが、復帰後の並外れた貪欲さを生み出し、世界ランキング第4位までのぼりつめる原動力となったのです。

 だから伊達さんは、「あの怪我がなかったら、あそこまで行けなかったと思います。リハビリで家に閉じこもっていたころのことが、私にとってすごく印象に残っているのは、そのためだと思います」とおっしゃるのです。

 怪我による戦線離脱――。
 これは伊達さんにとって「逆境」にほかなりませんでした。

 でも、この「逆境」のなかで、悔しさを噛み締めたことによって、伊達さんの戦闘力は最大限に引き出されることにつながった。その意味で、「逆境」こそが、伊達さんをトップアスリートへと育てあげたと言えるのかもしれません。

「世の中の人全員見返したれ」という激励

 元プロ野球選手・監督の古田敦也さんも、若いころに「逆境」を経験しています。
 古田さんが立命館大学の4年生だったときのことです。関西六大学野球リーグで強肩・強打の捕手として活躍したほか、日米大学野球の代表にも選ばれた古田さんは、その年のプロ野球のドラフトにおける有力選手として注目を集めました。

 特に、関西のメディアでの扱いは破格だったそうで、スポーツ新聞の1面に、「古田、一位指名間違いなし!」といった大見出しの記事が大判の顔写真とともに掲載されるほどだったそうです。
 しかも、ドラフト会議直前には、実家のお母様あてに複数のプロ野球球団から、「ドラフト会議で息子さんを1位か2位で指名するので、お母さんからウチの球団で頑張るように言ってください」という電話もありました。

 そして、ドラフト会議当日を迎えます。
 立命館大学のホールに設営された会見場には、報道関係者、学校関係者など100人以上が詰めかけ、数台のテレビカメラが並ぶなか、古田さんと野球部監督が舞台上に着座。みんながテレビのドラフト会議中継を注視して、「今か、今か」と指名の瞬間を待っていました。

 ところが、12球団の1位指名が一巡しても、古田さんの名前は出てきませんでした。