「滑り止めなし」で東大受験に挑むも
待ち受けていた「まさかの試練」

 さて、灘高校に入ってから2年と数カ月がたち、あっという間に大学受験の季節。それまでに東大模試を何回も受け、A判定からB判定をコンスタントにとることができていた僕は、「まあ何とかなるんじゃないかな」と気楽に考えていました。

 願書を出したのは東京大学の文科II類。将来は経済/経営学部に進みたいと考えての選択でした(実際に経済学部に進学)。受験は東大一本で、滑り止めの私立は受けませんでした。

「お前、滑り止めどうすんねん」と両親から聞かれた時、「東大に落ちたら、私立に行かずに浪人して、来年もう一回東大を受ける。だから滑り止めを受ける意味ない」と即答したのを覚えています。

 僕は東大にしか行く気がありませんでしたし、高校3年間、東大用の勉強しかしてきていませんでした。もし私立を受けていたとしても、落ちていたかもしれません。

 こうして受験は順調に進み、センター試験が無事終了。自己採点で9割以上の点数を確認し、さあ二次試験の勉強だ!と意気込んだ矢先に、最後の試練が僕たちを襲いました。

 1995年1月17日、阪神淡路大震災。 

 朝の5時46分に兵庫県南部を震源として起こったこの悲劇は、最も被害が大きかった東灘区にある灘高校にも襲いかかりました。

 東大対策特別授業がなくなるどころか、卒業まで授業も、そしてきちんとした卒業式すらありませんでした。僕の家は幸いにも被害がなかったのですが、テレビに映る惨状に涙が止まりませんでした。

 それでも容赦なく受験日は迫ってきます。少なからず心理的ダメージを受けた状態でしたが、僕たちは仲間と一緒に東京に向かい、全力を出し切ってきました。

 僕の東大入試の成績は、数学は戦略どおり20分ほど時間を余らせ、自己採点の結果は満点。英語や国語も例年より簡単だったため健闘。不安の種だった社会も、幸運なことに知っている問題ばかりが出たので、何とか合格できました。