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明治の変革期に、政府の大きな期待を背負って誕生した北海道小樽の手宮線。昭和60年に姿を消してから40年近くが経つが、いまなお当時のレールが残っている。多くの廃線が歴史に埋もれていくなかで、なぜ手宮線は、「廃線ランキング」第1位に選ばれたのか。実際に歩いてみると、その理由が自然と浮かび上がってきた。※本稿は、地図研究家の今尾恵介『ぶらり鉄道廃線跡を歩く』(PHP研究所)の一部を抜粋・編集したものです。
明治13年に開業した
北海道最古の鉄道
地理院地図。令和7(2025)年8月14日ダウンロード。現在の地図に旧手宮線などを書き込んだ(同書より転載)。 拡大画像表示
小樽の手宮から、開拓使の置かれた札幌を結ぶ鉄道が開業したのは明治13(1880)年であった。
この鉄道は2年後の同15年に岩見沢を経由して石狩炭田の幌内まで延伸し、これにより石炭を積出港の小樽・手宮へ運ぶ近代ルートを完成させている。いわゆる官営幌内鉄道である。
ちなみに最初の開業年である明治13年の時点で国内に存在した鉄道といえば、他に新橋~横浜(現桜木町)間と大津(現びわ湖浜大津)~京都~大阪~神戸間だけなので、明治新政府の北海道にかける意気込みのほどが窺える。
明治13年といえば西南戦争が終わってまだ3年、近代国家を目指して矢継ぎ早に各方面の政策が打ち出されていた時分である。







