娯楽と投資、あるいは遊びと依存の境界が曖昧になる中で、どのようにして「自己制御」と「健全な楽しみ方」を担保するのかという問いが浮かび上がってくる。
すでに欧米では、スポーツギャンブル依存症に関する社会問題が顕在化している。
英国では、未成年がオンラインでベッティングに触れる機会が日常的に存在し、広告規制や法的制限の強化が議論されている。
一方で、こうしたサービスを支える企業やプラットフォームは、巧みに「エンターテインメント」としての顔を強調する。スポーツベッティングは「試合観戦をもっと面白くする」ものであるとされる
だが、経済的な動機と興奮を利用して「行動経済学的な依存」を誘発する側面があることは否定できない。
スポーツを賭博から守れるかは
私たちの見る力に懸かっている
私たちは、この状況にどう向き合うべきか。
『スポーツと賭博』(相原正道、新潮社)
第一に必要なのは、スポーツの「市場化」に対する明確な理解である。スポーツが単なる競技ではなく、巨大なデータ資源であり、金融商品であり、感情を売買する装置として機能している現実を直視することである。
第二に、スポーツに対する関与の形を「主体的に選び取る」という態度を持つことだ。ベッティングに参加するのも1つの関わり方だが、それが自らのスポーツ体験を豊かにしているのか、あるいは消耗させているのかを、私たちは常に問い続ける必要がある。
スポーツの持つ本来的な魅力――人間の限界に挑む姿勢、偶然性と戦略のせめぎ合い、そして観る者の心を揺さぶるドラマ――それらが単なる「投資判断材料」となったとき、私たちはスポーツを消費しているだけでなく、知らず知らずのうちにその本質をも削り取っているのかもしれない。
スポーツを「データの海」や「ギャンブルの母体」として見るのか、それとも「人間の営み」として守り抜くのか。その選択は、観る側――すなわち、私たち1人ひとりに委ねられている。







