ですが、「やってあげる」という行為を繰り返していると、不思議と相手にも求めるようになります。
「私はやってあげたのに、なんであなたはやってくれないの?」
日本人なら、こんなセリフを聞いたことがあると思います。気持ちよく人のために動いているうちは良いのですが、相手へ不満を抱きながら「やってあげる」時間は、決して幸せとはいえません。
それよりも、「いまこれをやってほしい」「私これをやるから、そっちお願いね」とコミュニケーションをとって自分の時間を確保していくほうが、よっぽど「やりたいこと」に時間を使えるようになるはずです。
ドイツ哲学の集約ともいえる
時間の意識の高さ
日本人は毎日が忙しく、同じようなルーティンを過ごしがちです。
時間が有限であることを忘れて、何となく「明日も同じ時間を過ごせる」とか「忙しくなければ、いくらでも時間はある」という思考が、根づいているように感じます。
時間に対する考え方の濃度は、明らかにドイツ人のほうが高いです。
時間は絶対のもので、きちんと管理しない限りは、自由に保つことはできない。思いがけないラッキーで、時間が勝手に増えたりはしないと、はっきり理解しています。
与えられた時間をどのように使うか?ということを、ドイツ人は育つ過程で親の習慣を見て身につけていきます。
古くから哲学が発達している、ドイツ国民の特質といえるかもしれません。
フリードリヒ・ニーチェやヘルダーリン、マルティン・ルターやマイスター・エックハルトなど、ドイツは世界史に残るレベルの哲学者を、多く生み出しています。
正解のない難解なことを、考えたり議論したりするのが、もともと好きなのでしょう。「人間とは」「人生とは」「命とは」など、壮大な問いかけに取り組み、多くの学者たちが最適解を追求して、いまのドイツ文化が築かれています。
ドイツ人の時間の意識の高さは、歴史に積み重なってきた、ドイツ哲学の集約といえるでしょう。







