それを避けるために、習近平政権は自由度の高い金融活動を抑え込み、統制を強めてきた。

 香港統制も人民元の国際化も、不動産とITへの締め付けも、外側から見れば「強気の攻め」のように見えるが、その本質は国内の不安定さを外に見せないための防御策に近い。

 このような統治モデルでは、国家と党が「金融リスク」「政治リスク」「社会リスク」を一手に引き受ける構造になる。だからこそ、異論や告発、安全に関する警告ですら、体制に対する挑戦と見なされやすい。

 宏福苑火災でも同様だ。中国政府は「短期的なリスク」の抑え込みに終始し、安全確保のために必要だった批判や警告の回路を自ら遮断してしまった。

安全と自由を損なった香港で
静かに進む「統治の危機」

 宏福苑の火災後、中国政府と香港当局は、追悼行事や救済措置、規制見直しを次々と打ち出し、危機管理に取り組んでいる姿を演出した。それと同時に、火災と選挙を結びつけて政府を批判した市民を取り締まり、海外メディアを牽制(けんせい)した。

 国家安全法と愛国者統治によって固められた香港統治は、安全と自由という二つの基盤を同時に損なっている。

 外から見ると香港統治は強固になったように見える。だが、その内側では、住民の安全を守るための批判や警告の回路が弱まり、政治参加の意欲が削がれ、統治の正統性を支えてきた基盤が静かに崩れつつある。

 焼け焦げた高層マンションと閑散とした投票所は、香港統治モデルが抱える「安全」と「正統性」の危機を象徴している。今後も香港は徐々に内部を崩壊させながら、中国のための国際金融センターとして存続し続けるだろう。

 外見的には盤石に見える香港統治だが、香港市民は中国政府への信頼を失っており、今後も権力側には見えにくい形で反乱を続けていくことになるだろう。

 そして皮肉なことに、中国政府がもっとも恐れてきた「統治の危機」は、敵や外国勢力によってではなく、安全と自由を奪われた香港市民の沈黙によって静かに進んでいくことになるはずだ。

(評論家、翻訳家、千代田区議会議員 白川 司)