たとえ今は資産に恵まれていても、未来は不確実です。事業に失敗することも、相続争いが起きることもある。ご子息やご令嬢が結婚して、一般家庭に嫁がれる、婿に入るというケースも想定されます。あるいは、創業家の跡継ぎとして会社に入社し、最初は現場社員として、社員食堂で食事をとることもありますし、仕事終わりに安価な居酒屋で同僚や上司と懇親を深めることもあります。

 そんなとき、幼少期から“贅沢が当たり前”になってしまっていたら、周囲との関係性に齟齬(そご)が生じ、社会に馴染むことができなくなってしまいます。

「こんな食事、食べられない」「どうして自分がここにいなければならないのか」──そんな思考になってしまえば、本人の心を苦しめ、結果として自立や成功の道を閉ざすことになりかねないのです。

 だからこそ、普段の食事や外食において、一般的な家庭と同じ選択をする。「特別なものは、特別な日だけに」。この静かな哲学が、超富裕層の子育てと生活に根付いているのです。

常に向上していると実感できる
これこそが幸福である

 私が長年、執事として超富裕層にお仕えしてきて、「幸福とは、“良い生活を現在している”ことではなく、“常に向上していると感じられる”こと」だと強く感じています。

 贅沢とは、見せびらかすものでも、数値で測るものでもありません。むしろ、自分の生活が向上した、自分が成長したと感じられること──これこそが、持続する幸福感の源泉なのです。

 実際、超富裕層ほど「感動の余白」を大切にしています。毎日豪華なものを食べるのは簡単です。しかし、それでは人生に感動が残らなくなる。だからこそ、“楽しみを取っておく”“レベルを上げていく過程を守る”という選択を、あえてしているのです。

 こうした考え方は、超富裕層だけの特権ではありません。むしろ、私たち誰もが実践できる「幸福感の育て方」です。