高瀬に戦略勝ちした三輪に柏原が追いついたのは、19.23キロメートル地点だった。このとき、いちばん頭を使い、考えた。

「ここで横についたら逆に離されるだろうか」

 おそらく、三輪も柏原の足音を聞きながら考えていただろう。後ろについてくるのか、それとも突っ込んでくるのか、と。

「僕は、絶対に後ろにつかずに前に出ようと決めていました。今、後ろにつくと自分のリズムが狂ってしまうと直感したからです。リズムが合わないと後ろについてもマイナスになってしまう。

 自分のリズムで上ること、それは終始一貫していました。もうひとつそう決めたのは、下りが嫌いだったからです。下りに入って勝負するのは分が悪いので、勝負するなら下る前だと踏んでいました」

 レースは、柏原の読みどおりに動いた。1回抜いたあと、下りで三輪に追いつかれて、20.82キロメートル地点で抜かれた。下りは無理せずついていき、元箱根の平地での勝負に切り替えた。前半からハイペースで入っていたので、足がもう限界だったのだ。

「元箱根の平地では、『ここで引いたらダメだ』と思っていました。三輪さんを抜き返してからは、いっさい、後ろを振り向かなかったです。それをすると三輪さんに『こいつ、不安なんだな』と思われて、気持ちを回復させてしまうからです」

 歯を食いしばり、必死の形相で走り続けた。最後の直線に入ると、視界がパっと開け、まぶしかった。

 大鳥居をくぐってからはほぼ日陰だが、ここに出ると太陽に照らされ、しかも道路が白いので一気に明るくなる。

大歓声を浴びてゴールしたとき
自分の時計を見て驚いた

 大歓声の花道を駆け抜け、ゴールラインの先に仲間が待っているのが見えた。

「やっと終わる」

 そう思い、ホッとした。ガッツポーズでゴールテープを切り、東洋大学初の往路優勝を実現した。

 ゴールしたとき、自分の時計を止めたら77分と出ていたので、「あっ、77分台だ」と驚いた。だが、どこかで自分が時計を止めていた可能性があるので、信じていなかった。