2大会続けて結果を出した城西大学の山本唯翔君(編集部注/2024年の第100回箱根駅伝で5区を走り、柏原竜二以来の2年連続の区間新記録を獲得)は、5区にとらわれていないんです。トラックでしっかりパフォーマンスを上げて箱根に臨むという、非常にシンプルな姿勢で臨んでいた。それが山で結果を出すのに、いちばん大事なことなんです」

 山に強くなろうと山だけ走っていても、本当の強さには結びつかない。山の適性には個人差があるが、基本はトラックでのスピードも含め、あらゆる要素を高めていかないと5区で勝つことはできない。柏原は、平坦な道もトラックもたしかに速かった。

 2009年の第85回大会、柏原が小田原中継所で待っていると、佐藤監督代行(編集部注/前監督の佐藤尚コーチ。部員の不祥事を受けて川嶋監督が前年末に退任)から電話がかかってきた。

「5分くらいの差で来る。とりあえず3番くらいで行ったらいいから。それだと明日チャンスが出てくるから」

 柏原は、その言葉にカチンときた。レースという真剣勝負において3位でいいとかありえない。冗談じゃない。

「イヤです。僕は、今日、勝つために走るんです」

 厳しいトーンでそう言った。佐藤監督代行は、困ったような口調で、こう伝えた。

「わかった、もういい。好きにしていいよ。でも、無理すんなよ」

 このことは、数年前の柏原の結婚式のときにもエピソードとして語られた。

「こいつは、人の話を聞かない。でも、走りは素晴らしかった」

 そう佐藤が言うと、場内には笑いが広がった。佐藤の指導経験から、ここまで言いきる選手はいなかったのだろう。このときの言葉を含め、柏原が与えたインパクトの大きさがうかがえる。

山上りを意識しすぎると
かえって結果が出ない

 レースは、ややオーバーペース気味に入った。それでも勝算はあった。本番の朝、78分台で山を上る初夢を見たので、このくらいでもいけるかなと思っていた。

「9位からスタートしたのですが、順位を上げていくなかで僕が区間賞争いをするだろうなと思って気にしていたのが、山梨学院大学の高瀬無量さんでした。高瀬さんは、1年目、区間6位でしたが、2年目、山に特化しているのは聞いていたんです。5区をスタートしたときは2位でしたし、僕との差も4分以上ありました」