先ほどもお話ししましたが、私は、母が80代のうちから、「誰か手伝ってくれる人、いない?」と周囲の人(友人、仕事関係者、親族、友人、近所の人)に声をかけていました。これにより、多くの人と関係を築き、助けていただくことにつながってきました。
経験上、複数の人とコミュニケーションする上で大切なのは、介護される側も、する側も遠慮しないことだと思います。私の母は包み隠さず話すので、多くの人から面白がられ、好かれていました。
例えば、デイサービスで、皆が集まるおやつの時間があったとしましょう。準備が終わり「いただきます」となった直後にトイレに行きたくなったとします。おそらく母はすぐに「トイレに行きたい」と言うでしょう。遠慮も我慢もしない。その空気を読まない態度が笑いになる。そして皆に負担がかかる、粗相のリスクを回避できます。
――空気を読む人は、「今、皆が食べ始めたばかりだし」と我慢します。その結果、粗相してしまったら、多くの人に負担がかかる。小さな我慢により、スタッフの負担が増えることがあります。介護において、空気読みや、遠慮は百害あって一利なしかもしれません。
母は遠慮もしません。娘としては「もうちょっと感謝したら?」と思うほどでした。でも、「死んだ方がいい」とか「私がいない方があなたは楽になる」というようなことも一切言いませんでした。常に自分らしく生きていた。だから私も、母に伴走できたのだと思います。
母と私はもともと本音で話すのでぶつかることも多かったのですが、介護状態になってからはトラブルやケンカは少なかったと思います。
母が100歳まで生きたのも、私と本音で言い合い、娘への対抗心から、何でも挑戦していたからかもしれません。お互いに「憎たらしいけれど、憎いわけではない」という関係を続け、その信頼関係の上で、見送れたことは良かったと思っています。もちろん、後悔はあります。でも100点満点の介護はありませんから。
介護する側が本音でぶつかったらケンカにならない?
――介護する側も、本音でぶつかった方がいいのでしょうか。物分かりがいい人を演じてしまう人もいると思います。
もちろん相手の様子を見ながらですが、本音で話した方が信頼関係は築けますし、いい結果につながることが多いです。私は母の意見は必ず確認しましたし、病院やリハビリ病院にも、「やってほしいこと」を本音で伝えていました。







