メンバーにフィルターを書き換えてもらう
では、湯沢さんのように「失敗は自分の価値を下げる」というフィルターをもっている人に対して、リーダーはどのようにアプローチしていけばいいのでしょうか。
第1に考えられるのは、そのフィルターがもたらす消耗をなるべく減らす「環境」をつくってあげることです。
金井課長は、「もしも、お客様が不満をもたれたら、すぐに僕が電話を代わるから安心して。必ず僕がフォローするから、どんどん失敗してくれてOK」と話しかけましたが、あれも「環境」づくりと捉えてよいと思います。
つまり、金井課長は、「湯沢さんが対応を間違えて、顧客が怒り始めたとしても、金井課長が必ずフォローする」「そして、その失敗を責められることは絶対にない」という「環境」を提供したわけです。
そして、その「環境」を与えられたことで、湯沢さんはフィルターがもたらす消耗を大幅に減らすことができたのです。
第2のアプローチは、湯沢さんに「成功体験」を積ませてあげることです。
湯沢さんがなるべく「安心」できる「環境」を用意することで、その積極性を引き出すとともに、顧客対応での「成功体験」を積み重ねてもらうのです。
そうすれば、長い時間はかかりますが、少しずつ湯沢さんのフィルターは書き換えられていくことが期待できます。
もちろん、湯沢さんは顧客対応で失敗することもあるでしょうし、そのときには、おそらく、「失敗は自分の価値を下げる」というフィルターのせいで、大量の心理的リソースを消耗するでしょう(がっくりと落ち込む)。
だけど、金井課長が一切責めることなく、適切にフォローし続けることができれば、湯沢さんは、失敗から学ぶことで、徐々に、顧客対応能力を高めていくはずです。
そうすれば、「成功体験」も増えていくに違いありません。そのような経験を重ねるなかで、徐々に、「失敗に学べば、成長できる」というフィルターに書き換えられていくかもしれないのです。
フィルターに合った仕事を与える
もちろん、これは簡単なことではありません。
少なくとも、時間のかかるアプローチであることは間違いありません。
そこで、より現実的なものとして、第3のアプローチをご紹介します。
それは、メンバーがもっているフィルターが活きるタスクを与えるというアプローチです。
たとえば、湯沢さんがもっている「失敗は自分の価値を下げる」というフィルターは、顧客対応などのタスクにおいてはネガティブな影響をもたらしますが、リスク管理の仕事や、ミスが許されない仕事では、高いパフォーマンスをもたらしてくれるかもしれません。
このように、メンバーがもっているフィルターが有効に機能するようなタスクを与えることができれば、そのメンバーに高いパフォーマンスを発揮してもらうことができるはずです。
メンバーが特定のタスクに消耗していることがわかったら、「どんな知識やスキルが必要だろうか?」と考えるだけではなく、「どんなフィルターが、消耗を生み出しているのだろうか?」と想像してみてください。
そうすることで、リーダーのどんなかかわりがメンバーの消耗を止め、その可能性を引き出すことができるのかを考えられるようになるはずです。
(本原稿は『なぜ、あなたのチームは疲れているのか?』を一部抜粋・加筆したものです)
櫻本真理(さくらもと・まり)
株式会社コーチェット 代表取締役
2005年に京都大学教育学部を卒業後、モルガン・スタンレー証券、ゴールドマン・サックス証券(株式アナリスト)を経て、2014年にオンラインカウンセリングサービスを提供する株式会社cotree、2020年にリーダー向けメンタルヘルスとチームマネジメント力トレーニングを提供する株式会社コーチェットを設立。2022年日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー受賞。文部科学省アントレプレナーシップ推進大使。経営する会社を通じて10万人以上にカウンセリング・コーチング・トレーニングを提供し、270社以上のチームづくりに携わってきた。エグゼクティブコーチ、システムコーチ(ORSCC)。自身の経営経験から生まれる視点と、カウンセリング/コーチング両面でのアプローチが強み。
【著者からのメッセージ】
はじめまして、櫻本真理です。
最近、さまざまな企業の現場リーダーから、「チームをマネジメントしていくの、ちょっと疲れてきちゃったな……」といった声を聞くことが増えてきました。
人員、予算などのリソースが限られているため、チームの目標を達成するのが難しい状況のなか、なんとかメンバーのモチベーションを高めてもらおうと、あの手この手の働きかけをしています。しかし、そうすることでかえってメンバーとの関係がギクシャクしているような気がするとおっしゃるのです。
しかも、メンバー同士が雑談で盛り上がるようなこともあまりなく、職場にはなんとなく白けたような空気が漂います。お互いに積極的に協力し合ったり、情報を交換し合ったりといった機運もあまり見られない。まさに、チーム全体がどんよりと疲れているように感じられるというのです。
そんなとき、リーダーが目を向けるべきものが、本書のテーマである「心理的リソース」です。
心理的リソースとは聞き慣れない言葉かもしれませんが、私たちはいつも、この心理的リソースを費やしながら仕事をしています。
職場での日常を思い返してください。資料作成、経費精算、会議・プレゼンの準備、データ入力、メール対応、上司・部下との1on1、クライアントとの折衝、他部署との調整、企画立案、突発的なトラブル対応……。
私たちは日々、こうしたタスクに追われていますが、その一つひとつをこなすたびに、心がすり減っているのを感じているはずです。そのときにすり減らしているのが、「心のエネルギー」とでもいうべき活力の源です。
このエネルギーを、マネジメントの視点で見ると、チームとして成果を上げるための貴重な「経営資源」ということになります。そこで、このエネルギーのことを、「心理的リソース」と名付けたというわけです。
そして、チームが停滞気味で、なんとなく疲弊していると感じるならば、メンバーたちがなんらかの理由によって心理的リソースを浪費し、それが枯渇しかかっている可能性を疑ってみるべきなのです。
たとえば、依頼した書類作成に時間がかかりすぎているメンバーがいたとします。このメンバーは、何もしていないように見えたとしても「この判断で合っているだろうか?」「この表現は間違ってるかな?」などと頭のなかで思考がループすることで心理的リソースを消費しているのかもしれません。
もしそうだとすれば、そのメンバーに対して、「まだですか? 早くまとめてください」などと伝えても、メンバーは焦りの感情を覚えることによって、さらに心理的リソースを消耗してしまう結果を招くだけでしょう。
それよりも、書類作成の業務を依頼するときのミーティングに少しの時間を費やし、そのメンバーの疑問点を解消してから取り掛かってもらうようにすれば、心理的リソースの浪費を防ぎ、その節約した心理的リソースを、書類を見やすくする工夫や、内容の整理に使ってもらえたはずです。
あるいは、リーダー自身の無意識的な言動が、メンバーの心理的リソースを奪ってしまっている可能性もあります。
たとえば、リーダーが、仕事のストレスから知らず知らずのうちに不機嫌な表情になっていたとします。本人からすれば、自分の表情が誰かに影響を与えているとは考えてもいないかもしれません。しかし、不機嫌そうなリーダーに話しかけるのは、誰にとっても嫌なものです。
先ほどのメンバーも、書類作成の途中で何度もリーダーに疑問点を確認しようとしたけれど、不機嫌そうなリーダーの様子を見て、相談するのを躊躇していたのかもしれません。
つまり、本来であれば、「価値を生み出す仕事」に使われていたはずの心理的リソースが、不機嫌なリーダーのご機嫌をうかがうという「価値を生み出さない」ことのために使われていたということです。これでは、チームの成果が上がるはずがありません。
これらはほんの一例ですが、チーム内の心理的リソースの状況を把握したうえで、それの浪費を防ぎ、それを上手に活用する能力を身につけることが、これからのリーダーには求められます。
本書では、そのために必須の知識やノウハウをふんだんに盛り込みました。本書を読むことで、心理的リソースという新しいレンズを手に入れ、チームやメンバーを見つめていただきたいと願っています。
その視点でチームを見つめると、これまでチームの「貴重な資源」を何に使っていたのかがはっきり見えてきます。すると、なぜこれまでうまくいかなかったのかも理解できるようになるでしょう。そして、適切な手立てを講じることで、メンバーの心理的リソースを増やしていくことができれば、見違えるように活気に溢れ、成果を生み出すチームを作り出すことができるようになるのです。