生きづらさを感じている庶民に
気づきを与える存在に
実際彼は「コミュ障」を自称し、私生活は「庶民派」のプログラマーで、マッチョではない「おいら」が発信する。つねにパーカーを着て、YouTubeは自宅から配信し(スタジオではないのだ)、家は賃貸がいいと主張する。
若いころはチラシ配りをやっていて、現代に生きていたら闇バイトも手を出していたかもしれないとすら語る。児童養護施設にPCを配る寄付のプロジェクトも開催する。ネットカフェが好きで、高級車や高価な腕時計には興味がないと述べる。
彼の主張はいつも、投資効率の良い方法や庶民が生きやすくなる手段といった、昨今の社会への「最適解」の存在を伝える。つまり、庶民にとっての最適解の存在を「気づかせる」存在。それこそが彼なのである。
メディア研究者の伊藤昌亮は「ひろゆき論――なぜ支持されるのか、なぜ支持されるべきではないのか」(『世界』2023年3月号、岩波書店)にて、彼の思想の根幹をIT化や株式投資といった社会の流れに乗ることを勧めることだと述べる。
《今日、ネオリベラリズムの強力な論理の中に否応なく巻き込まれ、それに適応せざるをえなくなっている人々は、それを「強者の論理」から「弱者の論理」へとこうして優しく転倒してくれる彼の議論に、慰めや励ましを感じ取っているのではないだろうか。(伊藤昌亮「ひろゆき論」)》
西村は生きづらさを感じている庶民に、プログラミングやアフィリエイト(成果報酬型広告)ビジネス、副業や株式投資などを勧め、ネオリベラリズムにうまく乗る方法を伝えるインフルエンサーである、と伊藤は評する。
つまり、現代日本で生きづらい「庶民」の人びとが、プログラミングや株式投資という世間の流れに沿って最適化する方法に気づくことができれば、その努力は報われるのだと説いているのだ。
西村が勧めることはつねに、現代社会への最適化に「気づくこと」である。なぜなら、最適化に気づくことさえできれば、報われるからだ。
西村は、たとえば2017年に出版された『多動力』(堀江貴文、幻冬舎)が説いていたような「一度に大量の仕事をこなす」「好きなことやワクワクすることだけに時間を割く」といった主体的な行動は勧めない。







