お金が、ある程度の問題を解決してくれるのはたしかだ。でも、お金ではどうにもならない問題の方が、人生には圧倒的に多い。他人の手を頼らなくてはいけないようなとき、「お金があるから助けはいりません」と拒んだとしたら、どうだろう?お金なんかより、もっと大事な何かを、失ってしまうのではないか。
お金より、人を大事にしなさいと、浅い道徳論を展開したいわけではない。信用順位の上位にお金を置いていたら、お金に使われる人生となる。それは見知らぬ他人に使われるのと同じ、ひどくつまらない人生だと言いたいのだ。
貯金を、過剰に信用してはいけない。「貯金信仰」から脱却しよう。そのためにまずは、銀行にお金を「貸す」ことが、あなたの人生においてどういうことを意味するのか、自分の頭で考え直そう。
直接マレーシアに行けないなら
とりあえず隣の国に飛べばいい
それからこの「貯金信仰」にとらわれている人たちと同じぐらい、「立体的な発想ができていない人」も多い。「どうしたらお金持ちになれますか!?」など、本質の欠片さえつかんでいない問いと、年がら年中、向き合っている。僕も取材でそんなことを尋ねられると、心底嫌気を覚える。そんなものに核心を突いた答えが、あるわけないだろう。
立体的な発想とは、どんなものか。例えば、旅行で発揮することができる。1997年、僕はワールドカップ最終予選の日本vs.イラン戦の観戦のため、マレーシアのジョホールバルに行こうと思った。
当時の部下にチケットを手配させると「クアラルンプール行きの飛行機が、まったく取れません!」と、ギブアップした。90年代後半は日本からマレーシアへの便は限られており、日本からの応援団で、エアチケットは即完売状態だったのだ。
インターネットはそれほど普及しておらず、グーグルマップもない。僕はジョホールバル=マレーシアの州都だという先入観を、捨てて考えようと思った。そして紙の地図を調べた。すると、ジョホールバルは隣国のシンガポールと、橋ひとつ越えた程度の距離であることに気づいた。







