大村君とは、パートナーとしての関わりが誰よりも深い。ナイスガイで、強圧的なところは一切なかった。でも自分の作品にはすごく頑固で、苦悩する芸術家でもあった。人間って、裏側にいろいろいやな面があったりするけれど、彼にはそれがなかった。

 あまり飯を一緒に食べたりはしなかったのは、プライベートな時間がほとんどないほど2人とも忙しかったから。80年代の音楽制作は、ものすごくオートメーション化された流れ作業。聖子作品の場合、99%は曲が先にできていて、へたするともうオケまでできている。そこに詞がついて歌が入って、手作りの宝石が完成した。

故・大村氏のメロディーを
耳にした松田聖子は……

 彼の作ったメロディーを聴いていると、映画のような場面やアイデアがどんどん浮かんで来た。聖子のアルバム曲「真冬の恋人たち」などは、とくにそう。スケート場でナンパされる女の子と、その彼氏とのやりとりがさらさらと出てきて、詞を作りながら、にまにましてしまった。

 そんなメロディーに出会いたいといつも願っている。彼とは全然、仕事をし足りない。やりたいことがまだたくさんあった。惜別と恩返しの気持ちを込めて詞を書いたのが、聖子の99年のアルバムに収録した「櫻の園」だ。

 もともと、別の歌手のためにまったく違う詞を書き、ぼくから大村君に作曲を頼んで完成していたのだけど、お蔵入りになっていた。そのカセットテープがぼくの引き出しに残っていて、ずっと悔いが残っていた。誰が歌ったら彼は納得するかなと考えていたところ、久しぶりに聖子の企画を引き受けることになった。

 詞を書き換えて、作曲者は明かさず提供した。レコーディングが始まり、まず2回ぐらい通しで歌ってもらおう、と。歌っているうちに誰の曲なのか気づいたようで、彼女は途中でしゃがみ込んで号泣してしまった。泣いてしまうと声帯が締まってしまう。「ちょっと散歩しといで」と、休憩にしたのだった。

 博多でのライブの音楽監督は、数々の大村作品の録音に参加したギタリストの佐橋佳幸君と、大村君編曲の「そして僕は途方に暮れる」(大沢誉志幸)でアレンジのかっこよさを知ったという亀田誠治君。出演歌手やミュージシャンの顔ぶれも、大村雅朗の存在の大きさを物語っている。

 彼が残した宝物を、いま改めて多くの人に知ってほしいと願う。(2022年9月24日)