ジョードプルは「ブルーシティ」の異名を取る。家々の屋根や壁が、暑さを和らげるなどの理由で青く塗られているからだ。プルは「城塞」を意味する。ラジャスタンにはユネスコの世界遺産に登録された城塞もある。
「シン」という姓のホースマンは全員、この地域の出身者だ。「シン」は、日本で言えば「佐藤」「鈴木」のようなポピュラーな姓で、インド全土に分布する。
それにもかかわらず、浦河のシンたちがラジャスタン出身者ばかりなのは、彼らの多くが親類縁者であるからだ。ファテ・シンは、ジョードプルから50キロ離れたゴパルサルという村に生家がある。
同じ牧場に他に4人のシンがいるが、1人はファテの義兄(妻アニタの姉の夫)、他の3人も縁戚関係ではないが同じ村の出身者だ。血縁や地縁といった同胞の絆を頼りに、シンたちは海を越えた。
日高に最初にインド人を呼んだ
マレーシア人エージェントに直撃
日高に最初にインド人を呼んだエージェントは、サム氏(57歳)というマレーシア人だ。
「ラジャスタンの人間は、家族をとても大事にする。寒い北海道での仕事も、家族のためなら耐えられるだろうと考えて声をかけた」と話す。
一瞬、俳優の原田芳雄さん(2011年死去)に見えた。西舎のバハラットレストランに入ってきたサム氏は、大人の渋さを漂わせていた。
「忙しくて時間が取れない」「パブリッシュ(出版)されるとかそういうのは好きではない」とも話していたが、サム氏は取材に応じてくれた。マレーシアから来日して、30年以上。氏は流暢な日本語を話す。
「最初は仲のいい牧場から『誰かいないか?』って相談受けて。ボク、いろんな国の競馬場とつながってて、ボクのおじいちゃんもインド人だった。『じゃあ、インド人呼んでみますか?』って」
こんなに増えるなんて思ってなかった、とサム氏が少し笑みを見せた。
マレーシアの競馬場でジョッキーをしていた23歳のとき、日本人ジョッキー、道川満彦氏(2007年死去)と知り合った。







