チキンラーメンがいきなり到達した究極のゴール
1958年8月25日。 当時の日本は、高度経済成長の入り口に立っていたとはいえ、人々の生活はまだ豊かさとは程遠かった。ラーメン1杯が飲食店で200円以上した時代である。 そんな中、1袋35円という破格の値段で発売されたのがチキンラーメンだった。
驚くべきは価格だけではない。チキンラーメンの「仕組み」である。
袋を開ける。中には茶色い麺の塊が入っている。丼に入れる。お湯を注ぐ。 それだけである。小袋に入ったスープを開ける必要もなければ、乾燥具材(かやく)を別の袋から取り出す必要もない。麺そのものに鶏ガラスープの味が完全に染み込んでいるからだ。
通常、世の中の道具は「手間がかかる状態」からスタートする。
自動車のエンジンをかけるには、かつては鉄の棒(クランク)を力いっぱい回す必要があった。電話をかけるには、交換手に相手の名前を伝え、回線を繋いでもらわなければならなかった。コーヒーでさえ、粉末をお湯に溶かすだけのインスタントコーヒーが登場する前は、豆を挽き、抽出するという儀式が必要だった。
歴史は常に「複雑」から「単純」へと徐々に流れるものだ。
ところが、チキンラーメンは歴史のルールを無視した。いきなり「お湯をかけるだけ」という、これ以上省略しようのない最終地点に着地してしまったのである。
興味深いのは、その後の即席麺業界の動きである。「究極の簡便さ」が最初に達成されてしまったため、後発のメーカーは逆の道を行くしかなかった。
すなわち、「手間を増やす」という進化である。
1960年代、明星食品は「スープ別添」のラーメンを発売した。麺とは別に、粉末スープの小袋が入っている。 食べる人は、袋を破り、麺を茹で、最後に小袋を開けてスープを溶かさなければならない。
チキンラーメンが「完全な解決策」を提示したのに対し、後発商品は「未完成の素材」を提供することで、消費者に料理をする楽しみを残したと言える。
簡便さの頂点に立つチキンラーメンと、あえて手間を残した別添スープのラーメン。 この2つが切磋琢磨することで、日本のインスタントラーメン文化は爆発的に豊かになっていった。







