「どん兵衛」というネーミングに反対の嵐

 さて、偉大すぎる創業者が「完成形」を作ってしまった後、そのバトンを受け取る2代目の苦労はいかばかりだろうか。

 安藤百福の息子、安藤宏基氏。後に日清食品の社長となる彼は、常に父の巨大な影と戦わなければならなかった。 創業者が作ったチキンラーメンやカップヌードルは、すでに伝説である。 しかし、それを守るだけでは、企業の成長は止まる。

 新しい時代には、新しい伝説が必要だ。

 1970年代、カップ麺市場が拡大する中で、彼は「和風カップ麺」という新ジャンルに挑んだ。 うどんとそばである。開発は順調に進んだが、最後の最後で大きな壁にぶつかった。

 名前である。

 商品の顔とも言えるネーミングをどうするか。 スマートで都会的な「カップヌードル」が大ヒットしていた時代である。社内の誰もが、次も洗練された名前が良いと考えていた。 
 しかし、宏基氏が出した答えは、あまりにも土着的で、泥臭いものだった。

 「どん兵衛」である。社内は騒然とした。反対の嵐が巻き起こった。当時のマーケティングの常識からすれば、「あり得ない」選択だったからだ。

 なぜ彼は、「どん兵衛」という名前にこだわったのか。そして、どのような意図が込められていたのか。当時の様子を記した著書から、その真意をひも解いてみよう。

 以下は、書籍『カップヌードルをぶっつぶせ! - 創業者を激怒させた二代目社長のマーケティング流儀』(安藤宏基著、中央公論新社)からの引用である。

《「どん兵衛」は私がつけたネーミングである。うどんの“どん“であり、ドンブリの“どん”でもあった。そこへ、昔からの日本人の名前につく“兵衛“をくっつけた造語である。 これ以上の名前はない。われながらすばらしいとすっかり惚れ込んでいた。

 しかし社内では創業者をはじめほとんどの人が反対だった。“どん”は大阪弁では「どんくさい」という意味になり、縁起が悪いという。方言辞典で調べると、どんくさいは「におい、のろま、不器用」の意味だと書かれていた。

 また、「どんべい」は大阪では「べったこ」、つまり最低とか最後の意味にもとれた。さらに誰かが、食品に“ん”がつくのは禁物だというジンクスまで持ち出した。さんざんである。しかし、私はその語感からくるイメージがスマートさには程遠いが、ほのぼのとした人間的な温かさがあって、うどんにはぴったりだと思った。そこで強引に押し通した》