何か自分が悪事を働いたみたいで恥ずかしくていたたまれず、そのまま自宅に帰った。自分は社会で無能力者のようにみなされていると失望ばかりしていた。
広島では私に適した仕事は皆無と自覚して、思い切って上京した。東京には無数に企業が存在し、私のような難聴者でもきっと働けるところがあると期待した。当時、日本で最大規模といわれた東京・飯田橋の職安に行った。そこで身障者に理解がありそうな企業を10社ほど紹介してもらった。
職安からの紹介状を持って企業を訪問した。人事担当者と面接して、私が補聴器を着け言語の明確さを欠き応対もスムーズでなく肝心の電話ができないと知ると、即座に「お断りします」と門前払いされた。大東京でも障害者に冷たいと思っていると、飯田橋職安から品川の倉庫会社を強く推薦された。
足を運ぶと「人がいなくて困っている。明日にでもすぐに来てくれ」と言われ、その場で快諾して翌日から働き始めた。旧財閥系の中小企業だった。算盤の玉をせっせとはじきタイガー計算機を操作して保険料を割り出し、日本橋の火災保険会社に提出する仕事だった。連日の残業だったが、電話ができなくても働けるのはよかった。だが多忙な割には給料が安く、武蔵小山の安アパートの家賃を払ったらほとんど残らなかった。
東京でも行き詰まり
故郷・広島に帰郷する
その頃から公務員試験の勉強を始めた。障害者の自分にとって安心して働くことができ将来を託せるようなところは公務員しかないと思った。退社後、アパートで夜遅くまで必死になり休日も返上して公務員試験勉強に打ち込んだ。東京都、埼玉県、国家公務員、国会図書館、国税専門官の試験を矢継ぎ早に受けた。たいてい1次の筆記試験に合格しても2次の面接で不合格になった。
不合格の理由を自治体の人事課に照会すると、「障害者、とくに聴覚障害者の採用は前例がない」と言われた。ただ唖然とするばかりだった。すでに障害者雇用促進法が施行されているのに、模範となるべき役所が障害者の採用に消極的とは自己矛盾ではないのかと釈然としなかった。しばらく東京の会社で悶々たる気持ちで働きそれにも行き詰まって広島に帰った。







