障害者採用に熱心な運送会社があると聞き、そこで働いた。仕事は運輸伝票をチェックして輸送運賃量を計算するもので、毎日夜10時までのサービス残業が続いた。障害者の積極的雇用の聞こえはよくても、どこでも使い捨てのように働かせることに絶望した。
『難聴を生きる 音から隔てられて』(宿谷辰夫、宇田川芳江、岩波書店)
職場の昼休みに弁当を食べながら新聞記事の片隅の広告を見て、地元の自治体が職員を募集していると知った。文字通り藁にもすがる思いで受験した。いつものように1次の筆記試験はパスだった。また面接で落とされるのではと思い、地元の障害者ボランティア団体等から、私の採用を役所に働きかけてもらった。今度もだめかなと思っていたらなんと「採用」だった。私はもう29歳になっていた。その年結婚したばかりの妻と涙を流しながら喜び合ったものだ。
役所では人間関係がきつかったが、仕事は割と楽で難聴の私でも容易にこなせた。ただ会議や打ち合わせなどでは難聴者の私にまったく配慮がなく、筆談すら不十分で困ったことは多々あった。公務員生活を終える頃聴力がゼロとなった。補聴器も使えず、非常に落胆していたところ、人工内耳の電極を埋め込む手術を受け、音がよみがえったのがすこぶる嬉しかった。
60歳で公務員生活におさらばして、地元の難聴者団体に入会した。会員の皆は私と同じ障害を有しているだけにすぐに溶け込んだ。10年ほど前に会長に推薦された。活動は楽しくやりがいがあって、そこは自分にとって最上の安住地と思っている。私はもう81歳と人生の終点に近いが、今こそ人生のピークに到達したと満足感で一杯だ。(2級・元公務員・81歳・広島県)







