「進行性難聴の娘を地域の小学校へ進学させたい」母の願いは「親の見栄」なのか写真はイメージです Photo:PIXTA

自身も難聴を抱える著者の長女は、3歳で「進行性難聴」と診断された。娘が社会に出る未来を見据え、母は「地域の小学校」への進学を目指す。そこには心無い言葉を投げかける人もいれば、力になってくれる人もいる。娘がみんなと同じように学校生活を楽しめるよう支え続ける母と、それに応えようとする娘の日々を追う。※本稿は、全難聴理事長の宿谷辰夫編、全難聴副理事長兼事務局長の宇田川芳江編『難聴を生きる 音から隔てられて』(岩波書店)のうち、当事者の内悧氏による執筆パートを編集したものです。

「進行性難聴」の長女を
地域の学校に通わせたい

 私には、娘が2人いる。長女が進行性難聴と分かったのは3歳頃で、私の人生で一番苦しんだ1年となった。

 私自身は生まれつき耳が聞こえない。親には厳しく教育され、学校ではいじめなども受け、「したたかに図太く生きる」しかなかった。親は私をかばうどころか、「友だちは必要ない。勉強ができれば人は集まる。今は我慢して勉強して強くなれ」と私に言い続けた。こんなに苦しいのなら、大人になったら死んでしまおうと思いもした。

 長女が生まれた時、聞こえるか心配だったが、音には反応が見られた。言葉は遅れたがそれなりに話していたので、聞こえているのだと安心していた。しかし、3歳をすぎた頃、同じ難聴者の友人のお母さん(健聴者)から、「この子。耳が聞こえないのかもしれない」と言われた。改めて周りの人に聞いても「まさか」という反応だった。しかし、念のため診察を受けたところで、「進行性難聴」という無情な診断が下された。

 まさかこの子も私と同じ苦しみを味わうことになるのか。この時、私のお腹には2人目がいたので、死のうと思っても死にきれなかった。次女は生まれた時に、原因不明の痙攣を起こしていたため、2週間の入院となった。