なぜ彼女は「逃げられなかった」のか
なぜ、彼女は両親の元を離れられなかったのか。進学校で教えられる能力と教師の収入があれば、経済的に独立することは不可能ではなかったはずだ。しかも彼女は「優秀で、進学校の教師としての評判や人気も高く、28歳の彼女は(その気になれば)引く手数多だったはず」という声もある。
研究者によれば、中国のZ世代女性は、自分一人生きていける以上の稼ぐ能力を持っていても、家庭からは依然として「他者から与えられるお金」と「伝統的な家庭役割」を期待される傾向が強いという。
彼女の母や祖母の世代は、家庭内で役割を果たすことが「正しい生き方」だった。いや、それだけではない。まだまだ伝統的な意識が強い家庭では、「家を守る」だけでなく、伝統に従い、家庭の中でさまざまな役割を演じるものと考える。その価値観を、無意識のうちに娘にも「教え込もう」とするのだという。その結果、それが「正しい」と信じる親たちの耳には、子どもたちが持つ個人的な人生設計や希望が入らない。
中国の社会的生活習慣や価値観はこの30年間で激変し、核家族化も進んだ。その一方で、家庭の規模が急速に縮小し、親が子どもに依存して、家庭のメンツを保とうとする傾向も強まっているという。
こうした流れの結果として、彼女は、家を出て独立する能力を備えていながら、生まれ育った環境から逃れることができなかった。それこそ「物分かりの良い子ども」として育ってきた彼女は、親たちから逃げることは「罪だ」という意識から逃れられず、絶望した。自らの命を断つことでしか、「認められない苦しみ」を主張する手段がなかったのだろう。
「それでもお前は○○か!」と言われたくない
筆者の肌感覚として、中国人は往々にして、「他者から自分が認められること」に強くこだわる傾向がある。
例えば~日中問題でも何でもいいのだが~何かの論争が起きたとき、自分の意見を述べて「それでもお前は中国人か!」と言われることを非常に恐れる。どんな意見を述べようともその人物が中国人であることに変わりないのでは?と筆者などは思うのだが、そんなふうに「認められない」ことに多くの中国人は非常に敏感であり、どうにかしてその認定を得ようとしたり、否定されそうな言葉をあえて吐かないよう腐心したりする姿をよく目にする。
この女性教師も、遺書にあったように「それでもお前は……」と家族や親戚から責め立てられ続けたのではないか。昔の価値観で彼女を囲い込もうとするその攻勢から逃れられなかった彼女は、自らの生命を断つことで「逃れた」のだろう。
一人の優秀な若い女性がこんな形で消えていく現実が、いまも中国には存在するという事実。あまりに痛ましい出来事に言葉もない。女性教師の冥福を祈るばかりである。







