経営者、学者・研究者として
活躍する卒業生たち

 経済界で活躍した卒業生では、日本商工会議所会頭を務めた足立正がいた。ラフカディオ・ハーンが旧制松江中学の教師から転出するのと入れ違いに入学、東京高等商業学校(現一橋大)卒業後、三井物産に入社した。王子製紙、ラジオ東京(現在のTBSホールディングスの前身)などの経営トップを務めた。

 平成時代では、芦田昭充(商船三井)、井原勝美(ソニーフィナンシャルホールディングス、現ソニーフィナンシャルグループ)らのトップ経験者がいる。

 日産自動車の副社長を務めた大久保宣夫は、入社以来40年以上にわたり技術畑を歩み「技術の日産」の中心人物だった。東大工学部機械工学科卒。

 田部家の25代当主・田部長右衛門は新制松江北高校―中央大法学部卒。山陰中央テレビジョン社長、松江商工会議所会頭などを歴任している。

 学者・研究者では、随筆『長崎の鐘』などで知られる医学博士の永井隆がいた。松江中学から長崎医科大学(現長崎大学医学部)に進学、1945年8月9日に原爆に被爆した。原爆の理解のために多くの現認記録を残し、被爆者の救護に力を尽くした。51年に43歳で死去した。

 49年にサトウハチロー作詞・古関裕而作曲で、『長崎の鐘』をモチーフとした歌謡曲が発売され大ヒットした。翌年には松竹により映画化された。

 松江北高校の前身の一つである旧制市立松江高等女学校の卒業生に日本女子大学長を務めた上代タノがいる。55年に、ノーベル賞受賞者の湯川秀樹(旧制京都府立一中・現洛北高校卒)らと共に「世界平和アピール七人委員会」を結成した。

 法哲学者で京都帝大教授、大阪市大学長などを歴任した恒藤恭は、旧制松江中を経て旧制一高に進学、そこで同級だった小説家の芥川龍之介(東京府立三中・現両国高校卒)と親友になった。

 情報通信工学者の今井秀樹は、符号理論、暗号・認証方式の第一人者となった。横浜国立大、東大などで教員を務めた。

 東京理科大教授などを歴任し、最先端のレーザー研究をしている渡部俊太郎もOBだ。

 船舶設計技師だった山口琢磨は東大に進学し、47年に応援歌「ただ一つ」を作曲した。東大には校歌がなく、これを「東京大学の歌」と呼ぶことが決められている。

 高村ゆかりは国際法・環境法が専門の法学者で、東大未来ビジョン研究センター教授だ。松江北高校を経て京大法学部卒。大学院は一橋大に進んだ。21年に環境省中央環境審議会会長に就いた。女性初の会長だ。

 長谷川堯(たかし)は建築史家で、『都市廻廊』で毎日出版文化賞を受賞している。19年に死去した。長男は俳優の長谷川博己(東京・私立明星高校卒)だ。