陶芸家の河井寛次郎、お笑い芸人のルシファー吉岡
『はじめ人間ギャートルズ』の園山俊二も

 文化人では、陶芸家の河井寛次郎が著名だ。彫刻、書、詩やデザインなどでも優れた作品を残し、1920年代からの民芸運動の中心人物になった。文化勲章の受章や人間国宝への推挙を断ったことも、知る人ぞ知る。

 旧制と新制のはざまの卒業生には、写真家の奈良原一高がいた。56年に「人間の土地」のタイトルで開催した個展が評判になり、一躍、名を挙げた。中央大に入るが、仏像に魅了され早稲田大大学院に進み、美術史を専攻した。戦後を代表するカメラマンの一人、といえる。20年1月に死去した。

 文芸では、ミステリー作家で多くのシリーズものを出している法月綸太郎、漫画家で『はじめ人間ギャートルズ』などナンセンス漫画で知られる園山俊二もOBだ。

 井上赳は戦前、文部省図書監修官となり、国定教科書の編集をした。30年代の国語読本である『小学国語読本』(サクラ読本)の編集の中心人物になった。読本のスタートは従来は単語から始めていたが、井上は「サイタ サイタ サクラガ サイタ」に象徴されるように文章から始めるように改めた。

「前田の日本史」といわれるカリスマ予備校講師だった前田秀幸もOBだ。

 元島根大教授の酒井董美(ただよし)は島根・鳥取の民話、わらべ歌などの口承文芸を掘り起こし、収録・研究を続けている。山陰の民俗学の第一人者で、松江市にある「出雲かんべの里」の館長を務めた。

 前述の大久保宣夫と同級生で北海道新聞の記者だった酒井宏祐は董美の弟で、冷戦下に米ソ両超大国の首都で国際ニュースを追った唯一の日本人特派員だった。松江の医師で戦前の「大本教」弾圧事件の際、同教の最高幹部の一人だった井上留五郎は酒井兄弟の祖父だ。

 内藤順也は日米双方の弁護士資格を持つ国際弁護士だ。東大法学部卒で、米コロンビア大ロースクールも卒業している。

 山本幡男(はたお)は、シベリア抑留者の精神的支柱として関係者から尊敬されていた。第2次大戦終結後に旧ソビエト連邦によるシベリア抑留の被害に遭ったのは約60万人。山本もその一員だったが、ラーゲリ(強制収容所)内の日本人捕虜たちに日本の文化と帰国への願望を広めた。山本は、旧制松江中学を経て旧制東京外国語学校(現東京外国大)へ進学、ロシア語に堪能になり大連の満鉄調査部に入社した。

 野崎健輔は、記録映像作家として多くの作品を残した。太宰府天満宮に伝承されている古来の祭りを記録した『鬼すべ』(83年)で、第38回芸術祭映画部門大賞、キネマ旬報第1位を取るなど数多くの賞を受賞している。20年に死去した。

 林春生(はるお)は、作詞家・テレビプロデューサーだ。フジテレビで『ザ・ヒットパレード』などの番組を企画し、その傍ら『サザエさん』の主題歌や『京都の恋』など、数多くの楽曲を作詞した。

 声楽家の妻屋秀和は東京芸大大学院修了で、ミラノに留学し、ワイマール・ドイツ国民劇場専属歌手を務めた。21年には、第72回芸術選奨文部科学大臣賞を受賞した。

 松江北高校3年生だった門脇早紀は、23年秋の第77回全日本学生音楽コンクールの全国大会声楽部門の高校の部で、1位に選ばれた。門脇は大会で、ベッリーニの歌劇「夢遊病の女」から「ああ、信じられない」を披露した。24年3月には、高校野球センバツ甲子園大会で国歌独唱をした。その後、東京芸大に進学した。

 出口典雄は、劇団シェイクスピア・シアターを主宰した演出家だった。一人の演出家によるシェイクスピア全作品の演出・上演を果たした。20年に死去した。

 芸能人では、御秒奈々が大阪大工学部に進学したもののスカウトされてモデル・タレントとして活動している。お笑い芸人のルシファー吉岡、元俳優の谷岡弘規も卒業生だ。

 岸佳宏は劇団四季所属の舞台俳優だ。

 OGの山口はるみはイラストレーターで、作品がニューヨーク近代美術館にも収蔵されている。藤川秀之は挿絵・絵本画家だ。

 成相肇(なりあい・はじめ)は現代美術のキュレーターで、美術評論も行っている。岩崎輝雄は森林浴を推奨するなど健康評論家だ。