たとえば江戸時代などにおいて葬儀の準備や雑務など、今日における“葬儀社の仕事”を執り行っていたのは、その死者が出た家の近所の人々などといった地域のコミュニティであった。

 地方の少子高齢化やそれにともなう過疎化、また都市部における単身家庭や核家族の増加などによって、そうしたコミュニティが力を失っていく過程のなかで、“葬祭プロデュース業”としての葬儀社が台頭してきたのであって、別に葬儀社が“お寺つぶし”のようなことを考えて、主導的に現在の状況をつくったわけではない。

 たまたまの成り行きのような流れも大きかっただろう。また、何よりも、そういう葬儀社の台頭をむしろ僧侶サイドが“楽”と思って、歓迎していた側面があったことも見逃せない。

『誰が「お寺」を殺すのか』書影『誰が「お寺」を殺すのか』(小川寛大、宝島社新書)

 もちろん、かつての地方の村落コミュニティの中において、寺の存在はその重要なファクターであった。ゆえに、僧侶の側で「かつての寺は葬儀を仕切っていた」という思いもあるのだろうが、寺がすべてを支えていたわけではない。

 そういう意味では、「葬儀の主導権を葬儀社から取り戻す」といった話は、「かつてあった地域コミュニティの復権」という話とほとんど同義なのである。

 しかし、日本の少子高齢化や地方の過疎化、また単身家庭や核家族の増加といったことは、日本社会全体の問題であって、それこそ政治家や官僚、またそれを専門に研究する大学教授などが「ああでもない、こうでもない」と、その対策を日夜考えていながら、ほとんど解決する兆しも見えない。

 そこを、お坊さんが心がけをあらためてお寺を変えれば変わるのかと言ったら、変わるわけもないだろう。