「太宰は人間が好きだった。あの含羞というか、衒いや気くばりの奥で人間が大好きな、そんな彼を好きになったんですね。(中略)じつは僕が、太宰治を語るようなことは最近になってなんです。
(中略)ともかく軟弱文学にふらついていたと思われたくなかったんです。強靱な精神をもって毎日を生きていかないとノイローゼになってしまうような仕事をやっていますからね。ですから、僕はある意味で、二面性をもっていると思う。
太宰治もそうだったと、僕は考えている。太宰治の生家は大金持ちで、僕のところはぜんぜんカネのない家だけど、両方とも父親が政治家だったわけですね。
(中略)この政治という仕事は、すべて真実ばかりが通る世界でもなく、それをいかに見分けるかが大事なんです。太宰にしても、生まれ育った状況のなかで小説を書いて、あれだけ有名になったけれども、お父さんのほうの血が騒げば、事と次第によっては政治家に……ということがあったかもしれない。僕なんかも、両面あったんじゃないかな」
ジョン・F・ケネディの実弟に
政治家のあるべき姿を見た
そんな父は政治家を目指すことを決意してからは、自分を変えようと猛然と努力を始めます。
政治家の登竜門と言われていた早稲田大学の弁論サークル・雄弁会に入ります。声をよくしようと詩吟の会へ入り、乱闘国会に備えて体を強くしなければと合気道部にも。
色紙を頼まれるだろうからと書道部も掛け持ち、群馬は観光地が多いからと早稲田大学の観光学会に入会します。観光学会では、後に西武グループの総帥となる堤義明さんと交友を結ぶことになります。
また当時は海外旅行がまだ珍しい時代。父は少しでも世界の現実をその目で見ておこうと、1963年1月からバックパック1つで世界38カ国無銭旅行に出発します。
旅の中で、特に父が忘れられない経験として語っていたのが、アメリカでのロバート・ケネディ(編集部注/ジョン・F・ケネディの実弟)司法長官との再会です。
ロバート・ケネディさんは、以前来日した時に早稲田大学を訪れていました。学生の怒号のようなヤジと反論を「早稲田の諸君は肺活量が大きい」と軽くいなし、ワイシャツの袖をまくり上げて堂々と論争を展開するケネディさんに、父は深い感銘を受けていました。







