また特に父が頼りにした友人がいます。歴史家で台湾人の陳鵬仁さん。父は学生交流で知り合った陳さんと意気投合し、選挙の手伝いをお願いしました。

 陳さんは選挙区をつぶさに分析してくださり、群馬3区には25万の保守票があって3人の自民党議員を当選させる力があるとして、選挙戦略も一緒に考えてくださったそうです。

 陳さんが初当選に際して送ってくれた祝辞、「誠実であれ、謙虚であれ、勇敢であれ」は父の座右の銘となりました。

子供思いだった小渕は
通訳にも気配りを忘れない

 こうして親の仕事を継いだ父には、自分の子供たちにも後を継いで欲しいという思いが頭の片隅にあったのでしょうか。私たちははっきり言われた記憶はありませんが、姉はある日父が、こう話したことを覚えているといいます。

「お姉ちゃんの優しさはパパに似ている。政治家になるには優しすぎるね。坊主(兄)はパパに似てまじめだな。政治家としてはまじめすぎる。優ちゃんは無邪気でかわいいから、政治家にするには可哀想かな」

 父はどこかで、「政治家になるならば」という視点でも子供たちを見ていたのかと思います。結論は「みんな駄目なのかい!(笑)」という話ですが、それぞれ一長一短あるということだったのでしょう。

 ちなみにこの頃私は、当時習っていたピアノを活かして、「将来はピアノの先生になりたい」と言っていました。ただ、いつも心のどこかに「大好きな父の期待に応えたい、父の役に立つ人間になりたい」という思いがあったのも事実です。

『わたしと父・小渕恵三』書影『わたしと父・小渕恵三』(小渕優子著、青山和弘編、講談社)

 79年5月、父は大平正芳総理のアメリカ訪問に同行議員団団長として参加します。この議員団の通訳係として、当時アメリカ東海岸に留学していた20代の外務官僚が集められました。父を担当したのが斎木昭隆さん。ホワイトハウスでカーター大統領との歓迎晩餐会の時、父は通訳に勤しむ斎木さんにこう話しかけてきたそうです。

「君は英語がうまいなあ。俺もうまくなりたいな」

 一連の日程に同行した斎木さんは、晩餐(ばんさん)会でも食事を口にできない自分たちの腹具合をいつも心配してくれた父を、「気配りのある真面目で優しい先生だなあ」と思ったそうです。

 外務大臣となった父が、この斎木さんを大臣秘書官に抜擢するのは、ここから18年も後の話です。