アメリカの首都ワシントンに着くと、父はケネディさん宛に手紙を書きます。

「私ははるばる米国にやってきました。それは貴下に会うためです。(中略)何としても貴下にお目にかからない限り、私の訪米の目的は果たせません。(中略)貴下が早稲田大学を訪問の際、はじめて貴下にお目に掛かり、それ以来もう一度お会いして、議論してみたいと願っていた次第です……」

 異国の学生がこのような手紙を送っても、普通は取り合ってもらえないと思います。ところがケネディさんは違いました。秘書さんから父の宿泊先に電話があり、何と面会を快諾してくれたのです。

 司法省でお会いしたケネディさんは、日本から来た一学生の父にケネディ政権の理想を熱心に語り、日米関係の望ましい将来などを説明してくださったそうです。

 父がどれほど感激したか、はかり知れません。父はこの経験から「政治に携わる者、可能な限り“人に会う”努力はおろそかにせぬよう心している」と話しています。

選挙資金がない小渕を支えた
地元民や友人たちからの支援

 そして日本を発ってから8カ月が経とうとしていた8月の終わり、1本の電報がブラジルにいた父のもとに届きました。

「センキョチカシ、スグカエレハハ」

 いよいよ出馬の時です。しかし父は電報には従わず、すぐに帰国しませんでした。早々に帰って長く準備運動をするほど、資金に余裕がなかったからです。

 敢えて選挙ギリギリに帰国して有権者の期待を高める、一種の「奇襲作戦」を取ることにしたのです。どこか腹の据わっている父らしいやり方です。

 父は10月になって、南米アルゼンチンのブエノスアイレスから帰国します。わずか1カ月の選挙期間で迎えた11月21日、第30回衆議院選挙。父は早稲田大学大学院在学中の弱冠26歳で、初当選を飾りました。

 多くの人の支援がなければ、当選にたどり着けなかったことは言うまでもありません。

 常識破りの「奇襲作戦」が成功した裏には、父の留守中に「小渕恵三帰る」という帰国報告会のビラを、選挙区内に8万枚も貼ってくれた地元の支援者や親族の力があってこそです。