小渕恵三 Photo:SANKEI
1989年1月7日、昭和天皇が崩御した。「訂正官房長官」と揶揄されていた「平成おじさん」こと小渕恵三だが、決して失敗の許されない会見対応に追われることになる。そして、国民の注目が一身に集まる新元号「平成」の発表……。1日に2つの大役を担った父の姿を、小渕優子が振り返る。※本稿は、衆議院議員の小渕優子著、政治ジャーナリストの青山和弘編『わたしと父・小渕恵三』(講談社)の一部を抜粋・編集したものです。
リクルート事件による疑いの目は
小渕恵三にも向けられた
〈1988年6月、リクルート事件が発覚。竹下登総理や中曽根康弘前総理など90人を超える政治家に、リクルートコスモス株が譲渡されていたことが次々と報道された。12月には消費税導入に向けて尽力してきた宮澤喜一大蔵大臣が、未公開株譲渡の倫理的責任を問われて辞任に追い込まれ、後任は竹下総理が兼務することになった〉
リクルート事件は、竹下政権の行方に暗い影を落としていきます。宮澤大蔵大臣の辞任が、政権にとって大きな痛手だったのは想像に難くありません。実は宮澤さん辞任の1週間後、父は母と共に宮澤ご夫妻をお食事に誘って出かけています。
失意の宮澤さんを励まそうという思いですが、こうした繋がりが、後に宮澤さんが金融再生を最重要課題とする小渕内閣の財務大臣を引き受けてくださることに繋がったのかもしれません。
そして12月30日、父もリクルートに関連して新聞の1面に名前が出ることになりました。前夜の自宅での記者懇談の席で、リクルート社からこの年の6月まで、毎月2万円の政治献金を受けていたことを明らかにしたからです。







