時計の品質を宣伝するより
特別感の演出に心血を注いだ

 1960年から1990年にかけてのロレックスの飛躍的成長において、新製品開発と技術革新が果たした役割は限定的なものに過ぎなかったものの、マーケティング戦略が功を奏して世界をリードする時計ブランドとしての地位を確立することができた。

 ロレックスは確かに戦間期から高精度防水自動巻時計の大量生産に集中し、市場でのポジショニングという点で独自の戦略を持っていた。

 しかし、今や有名なオイスター・モデルも、当時は腕時計の一種に過ぎなかった。1950年代の終わりまで、ロレックスは市場における競合他社との差別化を図っておらず、そのコミュニケーション戦略は製品の本質的な技術的特徴に無点を当てていた。

 ロレックスは何よりもまず、ロンジン、オメガ、ゼニス、またセイコーのような高品質の時計であるということを顧客にアピールした。これらの時計メーカーのコミュニケーション戦略はすべて、モノづくりのパラダイムに基づいていた。製品の卓越性がその企業の中心的なメッセージだったのである。

『ロレックスの経営史-「ものづくり」から「ゆめづくり」へ』書影『ロレックスの経営史-「ものづくり」から「ゆめづくり」へ』(ピエール=イヴ・ドンゼ、大阪大学出版会)

 一部の広告では、ロレックスを不滅の製品として、また防水時計を生み出したブランドとしてフィーチャーし続けたが、それまでコミュニケーションの大部分を占めていたこのような語り口は減っていった。

 また、ロレックスは1950年代末にクロノメーター・コンクールへの挑戦を放棄した。一等賞や記録の獲得はもはや重視されなくなり、ロレックスのコミュニケーションから姿を消した。

 こうして1960年代、ブランドのナラティブに根本的な転換期が訪れ、ロレックスはもはや単なる特別な時計ではなく、特別な人のための時計となった。

 ロレックスは、社会的な差別化をマーケティング戦略の中心に据えた最初の時計ブランドであった。ロレックスは自己成功の体現者である、これがコミュニケーションの新たな焦点となった。