彼はエグラーとより緊密な関係を築き、時計の防水性に関する数多くの特許を取得し、ケース製造会社ジェネックスに投資し、多くの時計モデルを登録した。自動巻き腕時計「オイスター・パーペチュアル」(1931年)が開発されたのもこの頃である。
しかし、具体的なデザイン、つまり時計のスタイルや美学を内面化しても、ブランドのアイデンティティを変化させるわけではなかった。ロレックスは高精度の時計製造の表現者であり続け、依然としてモノづくりのパラダイムに基づいていた。
さらに、ロレックスの歴史を決定論的に捉えないことも重要である。
第二次世界大戦まで、オイスターはさまざまなモデルのうちの単なる一種にすぎなかった。ロレックスは多数の時計を開発、販売し続けた。
1928年に発表された高級モデル「プリンス」は、ウィルスドルフの試行錯誤の表れでもある。彼は顧客に売れる適切な時計と適切なコンセプトを探していた。しかし、どれが売れるかはまだわからなかった。
質実剛健な時計づくりと
アイコニックなデザインが融合
第三に、こうした組織能力に基づき、第二次世界大戦終結後の15年間にいくつかのアイコニックなモデルが生み出された。腕時計のさまざまな機能が、強い審美性とアイデンティティを備えたコレクションを作り上げたのである。
戦間期の多種多様な製品は放棄され、プリンス・モデルは1940年代に廃棄された。さらに、新しいアイコニックなモデルは、グローバル・ブランドを体現するものであった。もはやそれぞれの地域に合わせたものを作る必要はなく、世界中のどの市場でも同じものを販売した。ロレックスのデイデイト、サブマリーナ、コスモグラフは大成功を収め、オメガと肩を並べるまでになった。
しかし、ロレックスのデザイン経営は依存として伝統的であり、ウィルスドルフは有形のデザイン、すなわちモノとしての時計を重視していた。
プロダクト重視から
物語を売る企業へと転換
第四に、1960年代後半は根本的な変化の時期であった。J.ウォルター・トンプソンを中心とするアメリカの広告代理店や企業家とのコラボレーションによって、ロレックスの戦略は大きく転換し、モノづくりのパラダイムは放棄された。







