ロレックスのエクセレンスについてのナラティブは、やがて時計だけにとどまらず、それを身につける人々にも及ぶようになった。
ロレックスは、個人の達成感、仕事上の成功、偉大な男性のエクセレンスを表現するブランドとなった。こうした本質的に男性的な価値観は、経済成長期の白人アッパーミドルクラスの男性の期待に応えるものであった。
1964年からロレックス時計のCEOを務めていたアンドレ・ハイニガーは、時計産業におけるこの革命的なマーケティング戦略と、極めて保守的な製品開発戦略を融合させることに才能を発揮した。事実、戦後ロレックスが最後に発表した主要モデルは1963年(コスモグラフ・デイトナ)にさかのぼる。
つまり、ハイニガーがロレックスの指揮を執るようになってからは、事実上、新たな製品開発はストップしたのだ。これは注目に値する。もちろん、コレクションの新しいバリエーションは提案され、チェリーニ・コレクションも発表されたが、根本的な新製品を生み出すことはもはやなかった。
その代わりに、ハイニガーは既存の数少ないコレクションを活用し、ロレックスのエクセレンスを表現するアイコニックな商品に生まれ変わらせることに集中した。
オイスターウォッチ、その開発者のハンス・ウィルスドルフ、そして世界中の顧客という三拍子揃ったエクセレンスを基盤に、このブランドのナラティブが生まれたのは彼の治世下であった。この物語によって、ロレックスは長期的に、そしてエクセレントな技術の継続において、その地位を確立することができたのである。
ただ身につけるだけで
社会的ステータスを物語る存在に
1945年から1963年にかけて開発されたアイコニックな商品が時計産業のエクセレントな工業技術をすでに体現していたので、革新的な製品開発を行う必要はなく、ロレックスの時計の品質と耐久性は当然のものとされた。
そして、ロレックスの時計を身につける人々の特別な性質に焦点を当てたコミュニケーションが可能になった。ロレックスはもはや時計ではなくなった。社会的ステータスを物語るものとなったのである。ここに、ゆめづくりが誕生した。







