日本酒類販売経由で全国の酒問屋から営業依頼が舞い込み、購入したライトバンで全国を回った。蒸留器を買い替え、貯蔵タンクを買い、量産化を目指した。短期間で売り上げも伸びて、私は得意絶頂だった。しかし、その勢いは2年と続かなかった。
売れない焼酎のタンクを
ひとり抱きしめる夜
焼酎業界は狭い業界である。売れて話題になると、次の年には真似され、すぐに似たような焼酎が出回り始める。よくある話だ。
さらには、人参焼酎、大根焼酎、カボチャ焼酎、わかめ焼酎、コーヒー焼酎など、さまざまな原料の焼酎が酒販店の店先に並び始めた。「山芋だ、人参だ、大根だと、酒屋を八百屋にするつもりか、馬鹿野郎!」というお叱りも受けた。
奇をてらった焼酎の氾濫である。私は、安易に話題性だけを追い求め、品質を追求する「ものづくり」の王道から大きく離れていたのかもしれない。
山芋焼酎は次第に売れなくなっていった。時は「焼酎ブーム」がピークに差し掛かろうとしていた頃である。ただ売れなくなっただけならいいのだが、取引先に乗せられ、増産を夢見て、設備投資をしてしまった。父に申し訳なかった。
父も母も妻も何も言わなかったが、私はひとり眠れぬ夜に真っ暗な蔵の中で売れなくなった焼酎のタンクを抱きしめていた。だが、悲嘆にくれてばかりはいられない。
私は自らの愚かさを学んだ。何とかして状況を変えなくてはならない。「ピンチはチャンス」である。
私は考えた。売れなくなった焼酎は、見方によれば貯蔵しているのと同じことになる。売れなければ売れないほど長期貯蔵酒になる。付加価値が増していく。そう考えてみた。そして、さらに考えは深まる。酒類製造を規定する酒税法では、焼酎の樽貯蔵が許されている。
どうせ貯蔵するなら樫樽で貯蔵してみてはどうか、麦焼酎の樫樽貯蔵酒はまだどこにもない。私は父を説得し、関西に貯蔵用の樫樽を造る会社を探し当て、何とか樫樽を10本購入し、山芋焼酎にブレンドする麦焼酎を樫樽に詰めた。







